子を為す意義
子を為す意義について質問です。
一般的には、自分(たち)の子・DNAを残したい、子どもが好き、老後・人生を考え、孤独が嫌、世間体、といった理由があるのだと考えています。集団・生物として考えれば種の存続・繁栄のためといったところでしょうか。
いまひとつ、なかなかに良いことの続かない世に、新たな生を誕生させる理由足り得るのか、と考えています。社会的に意義深いことを理解し、周囲や懇意になれるはずの女性からの理解を得難いであろう、と危惧しての質問です。
子を考えるどころか、結婚やその候補すら存在しないため理解の及ばないところであるのかとも思うのですが、御回答いただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意義に異議アリ
私の母曰く、私の父は若い頃、自分には子育ては無理だと言っていましたが、実際に子育てしてみると昼間はあんなにお父さん遊ぼうお父さん遊ぼうって言ってくれたのに、夜になると一緒に寝るのはお母さんじゃないと嫌!と言い出すのを寂しがっていたそうです。
私の義兄は学生時代、「なんでみんな年賀状にペットとか子供とかの写真載せたがるのだろうな、バカじゃねぇの」と言っていましたが、今ではこれでもかというほど愛犬と2人の息子の写真を詰め込んでいます。
世には孫の顔見たさに子の勘当をといた人などごまんといます。
何故でしょうね?
私も父親という立場なって分かりました。頭が自分の手の平からちょっとはみ出るほどの大きさしかなく、首裏を支えてやらねば自分の頭を支えることすらできず、フワフワの布団をうっかり顔にかけてしまっただけで窒息して死んでしまう、涙が出るほどか弱い子供を自分の腕に抱いた時、「あぁ、俺がこの子を護ってやらねばならないんだ。俺が育ててやらねば死んでしまうんだ」と感じるんですよ。いや、そういう理屈でもありません。その瞬間、まるで本能のスイッチがカチッと入ったかのように、電球に電気がパッと通ったかのように、そうなってしまうのです。
だから逆なのです。
子を育てることに意義があるのではありません。人間が作り出した価値観が脱落していった結果、子を育てないではいられないのですよ。だからどんなに考えても無駄です。
りゅうさまはおっしゃります。「なかなか良いことの続かない世」と。でも、人類の歴史にどれほど良いことが続いた時期があったでしょう。それも同じです。人が作り出した望みが脱落していけば、おのずから今を全心全霊で生きる他に何も無くなります。
実際は親が種の存続のために子を作るのではなく、子が人類に慈悲を与えるのです。そういうまず最初にあなたがいて、次に私がいるという道理の中で人は生かされているのですよ。
命は永遠ではない
リュウさん、はじめまして。
当たり前のことですが、あなたの命は永遠ではありません。リュウさんの命が尽きたとき、どうしますか?
人が亡くなると、本人は何もできなくなります。託す人は誰ですか?弔い、供養してくれる人は誰ですか?
第三者は何もしてくれません。血を分けた子どもなら、可能性があります。
供養は世代を超えて続いて行くものなのです。