妊活と生と死
死の恐怖が和らぐ事は出来るのでしょうか。
周りの方や、芸能人が亡くなる話、ニュースなどを見ると、考えてしまい、辛くなり、最近は毎日思ってしまいます。こちらで他の方の質問の回答を見ても前を向くことが出来ず。
何歳になってもこの気持ちは変わらないのかなと思うと自分が情けないし、怖くて。最近はずーと生き続けるのも怖いことなのかな。と思って見たり。生まれ変わって永遠に続くのも、怖いし、終わりがあるのも怖いと思ってしまい、こんな考え方を治したいのに、変わらないです。
子供ができても自分と同じような考え方になったら、どうしようと思い、子供が死ぬ事を意識しパニックになった時にどう言って伝えたらいいのかと、思うと妊活するのを、戸惑ってしまっています。主人の事はとても大好きなのに、赤ちゃんが欲しいのか欲しくないのかも、わからなくなっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死とは仏さまのお悟りの世界に生まれさせていただくこと。
こんにちは。亀山純史と申します。
死に対する恐怖は、何歳になったら薄れてくる、というものではありません。『歎異抄』第9条には、「浄土にはやく往生したいという心がおこらず、少しでも病気にかかると、死ぬのではないだろうかと心細く思われるのも、煩悩のしわざです。」と親鸞聖人は仰ったと書かれています。そして、「どれほど名残惜しいと思っても、この世の縁が尽き、どうすることもできないで命を終えるとき、浄土に往生させていただくのです。」と親鸞聖人の仰せとして書かれております。
死後の世界のことは、科学ではわかりません。いろいろな推測はなされていても、どれ一つ確実なものはありません。また、よしんば分かったとしても、その解明された「死」をどう受け入れていくか、ということは、科学の分野ではありません。上記の「命を終えるとき、浄土に往生させていただく」ということも、物理的に浄土という世界が存在する、というのではなく、仏さまのお悟りの世界を浄土と言い、そこに生まれさせていただく、ということなのです。仏さまのお悟りの世界は、この世やあの世という区別を持つ世界ではありません。ですから、この世で悟りを開くことが出来る、と説く宗派もあれば、あの世に悟りを持っていく宗派もあるのです。
そして、死というものが、このように宗教的な見方によって受け入れられていくべきものであるならば、死の対極にある、この世に生まれてきたことも、宗教的な見方で受け入れていくべきものと思っています。「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。」です。人間としてこの世に生を頂いたことに感謝し、仏さまの教えにこれからも耳を傾けていってもらえればと思います。
追記
私は昨年の2月に一人息子を突然死で亡くしました。この出来事があってからは、死に対しての恐怖は少し薄らいだように思っています。それは、死は亡き息子が私よりも一足先に辿った道であり、私もまた死を通して息子に再会できると思えるからです。
どうか安心なさってくださいね
拝読させて頂きました。
そうですね、死はこわいものですよね。私もそう思います。
誰しもが避けられないことですしわからないことです。
ですから不安にもなりますし、恐怖でもありますよね。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
仏さまは全ての方を救ってくださいます。その死の間際にはお迎えに来て下さり、仏様の浄土へとお導きなさって下さいます。そしてそこでは一切の悩みや迷いや苦しみは消え去り、心穏やかに安心して生きることができます。
そうして親しい方々にも再開して心から円満になることができるのです。
そして何の迷いもなく悟りを得て成仏することができます。
夢物語のようですが正しい道です。真理の道です。
どうぞ仏様に全てお任せなさり仏様にお願いなさってください。
そして南無阿弥陀仏なむあみだぶつとお念仏おとなえなさってくださいね。
あなたは必ず仏様がお救いなさって下さいます。
これはあなたのことでもありあなたのご先祖様のことでもあり、あなたのお子さんや子孫の皆さんにも当てはまることです。
仏様は余すことなくお救いなさって下さいます。
どうか安心してあなたの人生を皆さんと共に充実なさり幸せに全うなさって下さいね。
あなたがその人生を皆さんと共に幸せに生き抜いていかれます様心からお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
何歳になったら薄れてくる、というもではないんですね。怖い気持ちは、薄れるのは難しいのかなと、思いましたが、
仏様の教えに耳を傾けて、周りの人との時間を大事にしようと思います。
ありがとうございます。