消えてなくなりたいと思うのは悪いことでしょうか
鬱を患ってから、すぐに心が挫けてしまい、欠勤が多いことから仕事も長続きせず職を転々としています。
そのため収入も安定せず、金銭的自立もできないため、親との関係もうまくいかず、生活費を入れているといっても家事もなかなか手伝えず肩身の狭い思いをしています。
両親の離婚を経験して、自分は結婚したくないと思い続けてきましたが、それがさらに自立から遠ざかる理由になっているような気もします。
死にたい、という強い気持ちではなく、小さくなってそのまま消えてしまいたいという気持ちでずっと生きてきました。
いままで楽しめていたことも楽しめず、もういらないと思うものを捨てていくうち、部屋がどんどん空になっていくのを見て、ここ数日、このまま消えてなくなれないだろうかという気持ちが強くなってきました。
段々と明確に、消えたいから死にたいへと気持ちが変わっていく気がして、それを実行するにはどうしたらいいかと調べたりしてしまいます。
自殺は仏教的には地獄へ落ちるとよく聞きます。
これ以上生きていても意味を見いだせず、人様に迷惑をかけて、明日に不安を抱いて生きるのが申し訳なく、辛くて堪らず、自殺を選ぶのは、そんなにも悪いことなのでしょうか。
また、そんな気持ちになってしまったとき、その気持ちを落ち着けるためには、どんなことを考えたり行ったりすればいいのでしょう。
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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それはあなたの意志ではありません。病気の症状です
私は大学四年生の時、バイトと卒論の板挟みになって病みました。私としては卒論書いて卒業するのは絶対。でも、お店としては経営が行き詰まっている時期にベテランを手放せないから「大学なんて止めちゃいなよ」と迫ってくる(1年後に閉店)。その言葉を聞く気は一切なかったのですけど、ずっとついて来てくれて、この先のことも信頼してくれている後輩を裏切る自分が許せない…つい数日前に、今度のレイアウト変更を成功させような!って約束したばかりなのに…
どうしていいか分からなくなって、何も考えられなくなって、寝込みました。バイトも連絡せず、大学にも行かず、食事は夜遅くに社会人の彼女がコンビニで買ってきてくれたものだけを食べ、何もせず一週間が過ぎたある日、(頭が痛い…何だろう…風邪かな…ちょっと換気しとくか)
窓を開けて外の空気を吸うと頭痛がスーっと消えました。(そうか、部屋の空気が悪くなりすぎると、頭痛がするんだな。)今思えばシックハウスに近いものだったかもしれません。そして気付きました。(そうか、俺はこの一週間、ベットからあの窓までのホンの2,3メートルの距離も移動していないんだな。ベットとトイレを行き来するだけの生活しかしていないんだな。)
そんな自分に気色の悪い嫌悪感のようなものを感じて、とりあえず大学だけ行きました。大学は嫌いじゃなかったから。その後は、喫茶店で一回だけ店長と話した以外、特に何もない学生生活でした。皆さんが期待するようなドラマティックな救いは何もありません。ただ、特別なことがない日常。それが回復のために良かったのかもしれません。だから25さまにも、可能なら、できるだけ1人でいないで他人と接して欲しいなと思います。このhasunohaでも良いですよ。
私は自分で何とかなったくらいに軽度のものでした。でも、何度も自殺未遂をした友人によると、最後は「自分は鬱なんだ。自分のせいではなく、鬱という病気のせいでこうなんだ」と思えたことが心の支えになったそうです。そして今は「鬱は完治しないけど、また再発しても薬を持っているから大丈夫」と思えるから再発しないでいられるそうです。だから、病院の診断を嫌わないで下さい。
あなたは病気なのです。あなたの人間性や生き方が悪かったのではなく、病気だから思うように出来ないだけです。そう思って良いんです。
質問者からのお礼
大慈さま
ご自身の経験を交えてのお答え、ありがとうございます。
そうですね。少しは自分のマイナスな面を病気のせいだと割り切ることができたら、もっと気持ちが楽なのかもしれません。
ひとりでいて死について考えるより、もう少し人と会ったりすることが必要な気がしました。
少し、友人に声をかけて、食事など出かけてみようと思います。
ありがとうございます。