安楽死について回答受付中
最近海外では安楽死を認める国が増えていると聞きますが、私は安楽死は自殺と同じと考えているのですが・・・僧侶の皆様は安楽死についてどうお考えですか?
お坊さんからの回答 3件
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安楽死という言葉に疑問
佐々木盛綱さん 確かに!海外では安楽死を選択しています。私はお釈迦さまが、四苦八苦で言われた人生の苦しみは答えだと思います。お釈迦様は「生老病死」と四苦を説きました。死は安楽と決めたのは誰ですか?勝手な憶測ではありませんか?肉体と精神は別と考える思想の国や地域では恐らく、死は安楽と考えているのは仕方ないと思います。
しかし、日本では心身一如、心技体を唱える以上、安楽死は受け入れられない制度ですね。私からは以上です
耐え難い苦痛があるのなら
耐え難い苦痛があり、薬等でもどうにもならないのであれば、仕方ないと思います。
もちろん、その国の法律で認められればですが。
例えば、脳死した人の臓器を他の患者に移植するのも、殺生かもしれません。
寿(寿命)と識(こころ)と煖(体温)が無くなったら死の成立という考え方があるので、脳死だけではまだ死んでいない(脳以外の部分に寿命と意識と体温が宿っている)と言えるのです。
しかし、臓器移植する場合には脳死を人の死だとみなすことが日本の法律で認められている。
安楽死も、本来は自殺や殺生と言えるでしょうけど、やむを得ない、耐え難い苦痛もあると思います。
阿弥陀仏は、たとえ安楽死する人でも、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えた人を極楽浄土に迎えてくれます。
安楽死しても安楽死しなくても念仏すれば極楽浄土に往生できます。
なので、安楽死しても仏様の慈悲の対象外でないのです。
痛み苦しみから救われますように
拝読させて頂きました。
あなたは安楽死についてどうなのか?と思っておられるのですね。あなたのその疑問について私もどうなのだろうかと思いますね。あなたのお気持ち心よりお察しします。
自分自身が耐えがたい苦しみや痛みにさいなまれてもう死より選択肢がないのであるならば死を選ぶこともあると私は思います。
辛い思いを抱えて心身共に追い込まれ、大きな病いにさいなまれてもう逃げることもできないという状況もあると思います。
そうした時に死を選ぶことを誰が責められるでしょう。自死や自殺は殺生とは言えないと私は思います。
安楽死という言葉の定義は私は厳密にはわからないですが、様々な状況の中にあって自ら死を選ぶことは私もあると思います。
本当に悩み苦しみ辛い思いをしているものを仏様や神様は必ずお導きなさって下さいます、そして必ずお救いになさって下さいます。そして仏様や神様のもとにて先に往かれた親しい方々やご先祖様は必ず優しくお迎えなさって下さいます。一切の苦しみや痛みや辛いことからお救いなさって下さいます。そして仏様や神様のもとでご先祖様と一緒に心から安らかに何の憂いもなく成仏させて頂くことができるのです。
悩み痛み苦しみ迷う方々が必ず仏様や神様に導かれますようにと親しい方々が優しくお迎えなさって下さいますようにと切に仏様や神様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ