自分がなりたくない自分になってしまいます。
今日仕事中にミスをしてしまったんですが、指摘された時に自信が無く、咄嗟に、ちゃんとやったんですけどね~、と言い訳をしてしまいました。
結果、嘘つきだと言われ、ボロクソに言われました。追い詰められた時に咄嗟に言い訳したりしてしまいます。
正直に言ってすぐ謝った方が方が結果的には絶対良いという事は頭ではわかっているんですが、追い詰められた時にどうしても言い訳をしてしまいます。
言い訳等しない潔い人間になりたいです。自分に自信を持ち、周囲から信頼を持たれる発言や行動が出来るようになりたいです。
どんなことを心掛けていけばよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感謝することと、心の安穏は一緒
拝読させていただきました。
組織の中で、円滑な人間関係を構築するご苦労も色々とおありでしょう。部下のミスに対して、ただ詰問するだけの手法にも問題はあるのかもしれません。
ただ、相手にばかり変化を求めていても仕方の無いことです。yasuさんも、年齢的には中堅どころでしょうし、会社の人達からもそれなりの目で評価されるでしょう。嫌悪する自分を変えるための努力を、今まで何か継続的にされたことがありますか。
短い文章の中で、私がyasuさんに必要だと感じるものは、「自信」と「謙虚」なお心でしょうか。
一つの事や、一つの場所で、継続的に積み重ねることが自信となり、自分を気にするより前に、他者に対してもっと大らかな気持ちで接することが出来るのです。それが謙虚さにもつながると思うのですが、謙虚と一言で言っても、仏教でいうところの卑下慢(ひげまん:自分を卑下しつつも自惚れる心)になってしまっては困ります。
そして今の貴方は、与えられたコミュニティーの中で、ただ我慢しているだけに見えます。
我慢という言葉も、もともとは仏教用語で、一般的には「我を抑える」「耐え忍ぶ」という捉え方をしますが、実際には相手より自分を上と思い蔑む慢心の一つです。
本宗の宗祖のお言葉に「仏になる道には、我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者也」という教えがあるのですが、この「我慢偏執」の我慢とは「自分を偉く思い、他を軽んずる」ことで、偏執は「偏った見解を固執して、他人の言説を受け付けない」ことです。
先ず、yasuさんが自信を膨らませ、我慢の日々から解き放たれるために、その取っ掛かりとして、感謝の言葉から始められては如何でしょう。
「ありがとうございます!」「おかげさまで!」「本当に助かります!」
自分のためにツッこんで下さる上司の方に、先ずは感謝しましょう。
そんなささやかな努力を、コツコツと続けて行くうちに、感謝することと心の安穏が一緒だと気付くはずです。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございました!
自分でも気付いていない、自分の本質を正に言い当てられられた気がしました。
ずっと自分に感じていた違和感というか、気持ち悪さの正体みたいなものを教えて頂き、ほんとうにありがとうございました!
卑下慢や、我慢偏執という言葉を教えて頂いた時に、まさに今の自分のことだと思い、はっとさせられたと同時に恥ずかしくなりました。
自分を変える努力を継続することと、謙虚な心、そして周囲の人達への感謝の気持ちを常に忘れず、日々を過ごしていきたいと思います。
そして、良い人生を頑張って手に入れるのではなく、目指す過程こそが良い人生だったと言えるように、生きていきます。
ほんとうに、ありがとうございました!