偏見?
私は、お坊さんに対してとても好意的に思っています。
子供の時に観た映画の映画の影響が、大きいですが、大人になってからは、話を聞いてもらったり、相談にのってもらい、とても親切にしてもらって、大好きになりました。
周りの人達は、お布施と称して、お金をとろうとしてる、壺など、何かを買わせようとする、騙されてるんだ、目を覚ませと言われます。
私が、出逢ったお坊さんは、皆優しい方ばかりなので、何も被害にはあっていませんが、洗脳されてる、病んでると言われてます。
どうしたら良さをわかってもらえるかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それぞれの価値観や宗教観の違いがありますので、騙されてるか騙されていないかは、個々が感じるものであるので、偏見と見るのもよし、救われていると思うならそれで良いと思います。
仏教はあくまでも仏(お釈迦さま)の教えでありますので、正しいこと(八正道)を僧侶が伝道・教化していくことが根本であると私は思っております。
生きていく中で、時代の流行や欲に流され、生きる道を見失った人々を軸に戻す役目を担っているのです。
法門は八万四千にありと、あらゆる方法(対機説法・方便)により、救い方や救われ方も違ってきます。今、生越さんが救われているのであれば、それでいいのです。布施にも様々です。
生きるのに困窮を来たさないのであれば、問題ないでしょう。
合掌
皆さんに良さを分からせるのは、あなたです。
今の世間で一般的に言われるのは、若い人がお寺へ通う事自体を、おかしいとか、騙されているとか、心が病んでいるとか、様々に言いたいこと言われています。
言う方は何の根拠もなく、ただ人が言うから無責任に言うのでしょう。
又、怪しげな宗教の影響も大いにあるでしょう。
たしかに、私のお寺でも、毎月定期的に数回の行事があります。もちろん宗旨宗派は関係なく、親や祖父母に連れられて子供たちは来ます。小学生の時は両親と欠かさず来ますが、中学になると年間に半分位になり、高校生になると2~3割、やがて大学生、社会人になると1~2割程度。そして結婚して子供が生まれると、再び6~7割に戻り、子育てが終わると8~9割になります。
お寺に自然に足を運ぶというのは、余程の魅力がないと率先して行かないのも事実で、これは布教をしようと思うお寺では、永遠の課題です。
少し回答からずれているかもしれませんが、それだけお寺に通うということは私たちからすればありがたいことです。又、魅力を絶やさないように努力もしていけます。
環境が整い、お寺の雰囲気に誘われていくことには限界があるのでしょうから、やはりお坊さんの魅力で足を運べるのでしょう。
皆さんに良さを知って頂けるのは、生越さんの生き方が輝いていることで、周囲の人にも伝わるのでしょうね。
価値観
他人の行動を「お金を取るため」とか「お布施をもらうため」とか思うのは、その人がそういう価値観の人だからでしょう。
と回答を書き始めたところで、私自身ハッとしました。
私は、お坊さんとしての活動も、他の仕事も、お金のためと思ってやったことがありません。
どちらかというと、責任感とか義務感でやっている、お金は勝手に後からついてくる感じです。
反対に、お金を払ってでも休みが欲しいと思うときはありますが。
これは、私が恵まれているからかもしれません。
それも仏教のおかげかもしれません。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
価値観の違いは、仕方ないし変えられませんが、少しでもお坊さんのイメージが良くなれば良いと思います。