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【神道】神様と仏様を喜ばすには…?【仏教】

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私はよく神社やお寺で、その日のご縁を頂いた事にお礼を言って「遠く離れた家族がいつまでも元気で長生きできますように」と祈ったり「自分と神様と仏様とで良いご縁で結ばれますように」と祈ったりしています。

その御利益か、願い通りに電話で家族の元気な声を聞けたり、胸がワァーっと熱くなるような神仏との良いご縁を頂いたり、特に頼んでもいないのに「思わずニヤけるようなラッキーが舞い込んだり」しています。とっても嬉しいです。

ただ、それらはあくまで「私の幸せ」です。
そういった「利己的な事」とは別に「神仏の為の事」をしたいと思ってます。

というのも私はいつも神仏に「何か“してもらう”側」だと日々の参拝の中でフと気が付きまして、流石にそれだけでは申し訳が無い。

私も日々、世話になっている神様と仏様の為、私なりに「何か“してあげる”側に」なりたいと思い始めました。

…ってのは良いのですが、具体的に「神様や仏様はどうすれば嬉しがる」のかがサッパリ分かりません。

シンプルに参拝の際に「神様と仏様が幸せになりますように」と祈れば神仏は私の時と同様にその願いを叶え、神仏自身が幸せになって歓喜しますか…?

…いや、そもそも“ヒト”ごときが“神仏”に対し「○○してあげる」って発想がおこがましかったりするの…?って考えが頭を過る事もあります。

あ、ちなみに最初に書いた「家族の健康」や「神仏とのご縁」といった利己的な参拝はこれからも続けるつもりです。
それと並行して神仏を喜ばせる為の事をしたいって事です。

私自身どれだけ利己的で欲深くなろうが思われようが別に構わないので自分と同じように大好きな神様と仏様にも胸が熱くなるような喜びや幸せを感じて欲しいです。

読みづらかったらすみません

どっちか片一方だけに偏らない、私も神様も仏様もみんなでハッピーラッキーになれる道、或いは行動を知りたいです。

どうか回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏には人間のような喜怒哀楽はありません

仏には人間のような喜怒哀楽はありません。
喜怒哀楽は因縁によって生ずる現象にたいする生命の反応ですので、因縁のとらわれから解脱している仏には、人間と同じ喜怒哀楽はありません。
では、お仏壇やお寺のご本尊様へのお給仕やお布施は無意味かというと、そうではありません。
もちろん仏にも喜びはあります。
それは仏の教えを受けた私たちが、その教えにそって正しい生き方をすること、それ自体が仏の喜びが現象していることになります。お給仕やお布施も私たちの慈悲、利他の心を養う行いですので、これもまた仏の喜びにかわりはありません。
何をお供えしたか、ではなく、お供えする時の心と行いが仏の喜びを現象させているのです。

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おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。
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あなたが喜ぶことが神仏の喜ぶことです。

神様、仏様と分けて考えることも必要かもしれませんが、それぞれの立場で定義が異なり、解釈を異にしますが、私は、神様とは上(様、すなわち全知全能の存在)、仏とは本仏(全知全能の存在)であり、お経にも神通力とあるのに、仏通力とはほとんど書いてありません。
本来の神の訳し方が、ホトフとなり仏となったともあります(諸説あり)
ゆえに、そういう意味では、同義異語ともなりますが、極論すぎて議論を招きそうです。
さらに、そういう意味においては、私たちの存在は、神:仏と同質であるともあり、実は、私たちそのものが、尊き存在となります。もちろん気づいていない、そのように教えられていないのですが。
要するに、神様、仏様が喜ぶ行為とは、あなたご自身が喜ぶ行いをする。自らも、そして他の為にも感謝される行いをし、心掛けることだと思います。
あなたが、心から感動すれば、神仏も感動するということになります。遠くの存在ではなく、あなた自身で神仏の感動を味わえるでしょう。
尚、あくまで自論ですから、参考までに。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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質問者からのお礼

百目鬼洋一さま ご回答ありがとうございます
仏の教え…文字通り仏教ですか、出家はしていませんが馬鹿なりに仏様の御教えを学び、できる範囲で実践してきたつもりなんですが…いかんせん戒律に従う、守るのがキツくて最近は仏教の学びも実践からも眼を背けがちでした。
正しい生き方、自分には合わないと思ってもそれが仏様の喜びに繋がるなら、また一から学び直し、再び実践してみようと思えました。

回答ありがとうございました🍀🍀🍀🍀

鈴木海祥さま ご回答ありがとうございます
私の喜び…神仏とのご縁を頂いて狂喜乱舞してる私を見て神仏は喜び、神仏の喜んでいる姿を想像した私が再び歓喜の声をあげ、再び神仏はそれに喜び…無限ループって良いですね!

ただそれだけでなく…他の為に感謝される行いを心掛けるってのは参考になりました。
私にはヒトが尊い存在という考えはありませんが「他人の為に頑張れるヒト、他人に優しいヒト」って純粋にカッコイイですもんね!
私がもし、そんなヒトになれたら神仏も私の勇姿を見て「カッコイイ♥」と感じてくれたりして…なんて笑。
…やっぱり私には自分本位な生き方以外難しそうですが「あくまで自分の為に」他者の為に頑張るというやり方もアリだなって思えました。
きっと神仏もヒト同士が互いに(どんな下心を秘めていようと…)思い遣り、仲良くしてる姿を見て喜ばないわけ無いですもんね。
なにか自分の中で掴む事ができました!

回答ありがとうございます🍀🍀🍀🍀

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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