理性じゃ死にたい欲求は消えない
もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。
私は人生と戦った。
私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。
勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。
でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。
もう沢山だ。
そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。
リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。
そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。
だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。
そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。
私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。
自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。
人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。
だから最後は宗教にすがってる。
助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。
寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。
だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。
まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。
なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。
宗教を勉強しても矛盾しか見えてこないので苦悩していたが原始仏教に惹かれる。哲学にも答えがないと悟る。 この世界の有り方が苦悩に満ちていて嫌い。 無神論者で反出生主義。 初期仏教や哲学や精神医療などを心の拠り所にしている。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
有難きご縁
ニーチェさんこんにちは。前回の質問から少し間が空きましたがお一人で悩める現実と格闘しておられたのですね。そしてこれまでにもずーっと真摯に悩んでこられたのですね。
>理性じゃ死にたい欲求は消えない
おっしゃる通りだと思います。「死にたい欲求」という「気持ち」も「私」ではありませんから理性でコントロールできるわけではありません。
「死にたい欲求を消すこと」と格闘するよりも、「死にたい欲求は私そのものではない」と明らかに見ていきましょう。
さて、理性で感情が思い通りになるわけではないように、私たちは理屈で救われるわけではありません。理屈はむしろ救われてから腑に落ちるものかもしれません。しかい救いに近づく手立てが理屈であることもまた現実なのです。
ニーチェさんはこれまで本当によく悩んで来られました。その時、その悩み方はどのようなものであったでしょうか?
「なぜ私がこんなことで悩まなければいけないのだ?」
という悩み方ではなかったでしょうか?その悩みがまるで自分にもたらされるべきではない不当なものとして扱ってはこなかったでしょうか?
悩みについて真正面から悩むのではなく、なぜ悩まなければいけないのだ?と悩んではいないでしょうか。
仏教を学んでもお金が増えるわけでも病気が治るわけでも友だちが沢山できるわけでもありません。
では仏教の救いと反何なのか。
悩みを我が悩みとして引き受けて悩み切っていけることです。これが私がいただいたご縁だと悩みを大切にしていけることです。
思い通りにならないものを思い通りにしたいと悩むのが私たちですから悩みはなくなりません。
共に悩んでいきましょう。
誰かに与えられた安っぽい生きる意味でもなく、生きる意味などないという虚無でもなく、固定・実体的なものなど「ない」からこそ無限の可能性が「ある」という空(くう)という真理に照らされて、共に救われていきましょう。
いつも心のからの叫びをお聞かせいただきありがとうございます。
生死輪廻の本質の考察へと向けて
ニーチェ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し虚無主義、悲観主義に陥られておられるご様子・・
とにかく私たちはこの生のみだけを問題とするものではありません。
やはり、何度もこの迷い苦しみの中の生まれ変わりを繰り返してきた輪廻全体のありようを問題といたします。
過去世、現世、来世と三世を見渡して、悟り・涅槃へ向けていかにあるべきかを考えていかなくてはいけません。
是非、生死輪廻の本質へと向けた考察もなさって頂けましたらと存じます。
生死輪廻の本質の考察へと向けて、下記の三書の読解を是非、お薦め致します。
「チベット生と死の書」(ソギャル・リンポチェ大師/講談社)
「ゲルク派版 チベット死者の書」(ヤンチェンガロ大師/学研文庫)
「秘密集会タントラ概論」(平岡宏一先生訳注/法蔵館)
川口英俊 合掌
あなたに人生の目的
拝読させて頂きました。あなたが今まで悪戦苦闘を繰り返して己の人生の中で戦ってこられたこと、そして答えを見つけることができずに苦しみ続けていらっしゃることを読ませて頂きました。
あなたがそれだけ多くの深い苦しみを受けて悩んでこられたのはあなたの人生の中でその答えを求めて生きていらっしゃるからかと思います。
あなたはそれだけ深い苦しみを受けていらしたのですから様々な場面や状況を身を以て体験してこられその答えを見つける種や機会がもたらされているのです。
悲しみ深ければそれだけ多くの悲しみ苦しみを理解することができますし、それに見合う答えを見つけるきっかけとなります。
恐らくあなたの人生の目的はその悩み苦しみから解放されて何の憂いもなく円満な人格となることが目的かと思います。
その道はまさに仏教の目指す仏の道です。仏教には八万四千の法門があるといわれ様々な人の状況に応じて仏となっていくつまり円満な人格を形成する為の道が用意されています。
おそらくはあなたにあった道があるでしょう。
そして仏様は全てのものを正しくお導きなさってくださる道をお示しなさってくださっております。
その道の中であなたが自分の人生の中でその道を見つけ出していくこと、或は仏様や僧侶によって道を示していかれる中であなたがその人生を全うなさっていくことができるかと思います。
あなたのその悩み苦しみはあなたにとっては断崖絶壁の苦難の連続かもしれませんけれども仏教を学びながら必ずあなたが求める道を見つけ出していくことができるでしょう。
どうぞ先ずは一息入れて頂いて心を落ち着けてください。
そしてしっかりとあなたの目の前にある仏教の教えに触れていってくださいね。
必ずあなたはおのれが目指す道や生き方に巡り合うことができますし、その中で多くの同胞とも出会うことができるでしょう。
あなたがこれからの未来仏教を学び精進なさり、苦しみや憂いから救われて円満に心穏やかな人格を形成なさっていかれますように心から仏様にお祈りさせて頂きます。
またあなたのお気持ちをお聞かせくださいね。
おそらくあなたと同じよな苦しみを感じて生きている人が世の中にはたくさんいるのだと思います。
できることなら、あなたが日々どのような出来事に対してどのように対応したのか、それをブログかツイッターなどに書いてみてはどうでしょうか。
それが誰かの生きる力になるかもしれませんし、あなた自身への力になるかもしれません。
人にはそれぞれ得意なこと苦手なことがあります。あなたはそれが極端に差があるのでしょうから、できれば苦手なことは他の人にお任せして、その分得意なことを引き受けて仕事に勤めてはどうかと思います。周りの人にもあなたの特性を理解してもらってください。
あるいは理解してもらえる職場を探してください。