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嫉妬心

回答数回答 2
有り難し有り難し 86

こんにちは

私にはお付き合いしている方がいます。
しかし、何気なく携帯を見てしまい元カノとたまに連絡をとっていることを知ってしまいました。
普通に友達として付き合っているようですが、モヤモヤが・・・。
今まで自分は嫉妬する方ではないと思っていましたが、そうではなかったようです。

探るようなことはできなかったので、携帯見たことを謝り聞いたところ
色々と話をしてくれました。
私が考えていたことは違いました。
携帯を見たことも「見てしまった行為に関しては、仕方ない」と許してくれました。
しかし「物事の見方が異常」だと言われてしまいました。
自分でもこうなんじゃないかああなんじゃないかと嫉妬からくる妄想が止まらなくなり、自分が嫌になります。

こんな自分を変えるにはどうしたらよいでしょうか?
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手を所有しようとしない

彼を自分のものと思い込んでいる所がどこかにあると思います。
男女の関係の究極は、二人で居ながらも相手を束縛・拘束することなく、独自の尊厳を認め合うことです。
あなたも縛りすぎたり、嫉妬深いことを言えば言う程、嫉妬の炎でお互いの身を焼きます。
そもそもが出会うまで独自の道を歩んできた二人です。
あなただって彼に出会う前は好きになった人もいたはずでしょう。
嫉妬で傷つかないためには、相手をワタクシしない事。
自分のルールに当てはめようとしないことです。
一緒に居ながらお互いの尊厳を認める。
浮気されたらそれはそれで仕方ないこと。
あなたもまともな相手を選ぶ機会が与えられたとクールに割り切りすぐに捨てることです。
嫉妬は、相手を所有したいと思う気持ちが強すぎることで生まれます。
一度、冷静になって距離を置きましょう。
あなたも天下にただ一人の自由な存在なのです。あなた自身の自立のためにも相手にあまり依存し過ぎないことです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

妄想はいくらでも膨らむもの

妄想を信用して生活していると、自分自身を苦しめることになります。
妄想はあくまで妄想。事実とは大きくずれています。
彼を大切にしたいということは、束縛することではありません。お互い自由でありながら、お互いを信頼しお互いの幸せを望むこと。何十年一緒に暮らした夫婦であっても、お互いを束縛することはできません。何かうまくいかないことがあればお別れしてしまうのです。
人は生まれてから死ぬまで一生一人の存在です。しかし、その一人の存在は、自由自在に相手に慈愛を届けることができるのです。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。

確かに束縛していました。
自分がされて嫌なことを相手にしてはダメですね。
当たり前のことがわからなくなっていました。
反省します。
これからは相手を信頼し尊重します!!
ありがとうございました。

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