自死を選んでしまったお寺生まれの先輩
こんにちは。かなり答えにくい質問ですし、センシティブな内容ですが聞かせていただきます。
数年前、私が大学生だった頃に、大学院生の先輩であったお寺生まれの方が自死を選びました。
私とその方とは特段仲が良かったとかではなく、ただ一回きりの講義でデュルケムの論文を訳すことがあり、その時のペアになっただけでした。
私の日本語にもなっていないような滅茶苦茶な訳を、もっとこうした方がいい、この単語はこういう解釈ができると、的確に、淡々とアドバイスしてくださりました。
講義の時のデュルケムの解釈もしっかり練られていて、とても真面目な方、いい人だと思いました。
その半年後くらいに、その方は自死を選びました。
私たちにはただ、「大学のことではなく、家(お寺)関係の継ぐかどうかで悩んでいた」と教授からアナウンスがありました。
ここでも私は何度か自死について質問し、迷います。
自死はいけない。私は今そう思えています。
しかし、あの方のことが頭を時たまよぎります。
彼の選択が間違いだった、彼が…、彼の周りが…と彼を否定したくないです。
もし、たとえ、「間違いだった」と全員に言われても、「あんまりじゃないか!」と泣きたくなります。
どうにもこうにも心の整理はつきません。
彼との関係はその講義一度きりだったので、なに宗の方だったかも今はわかりません。
難しいことですし、私に直接関係あるかと言われればないのですが、お答えいただくとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自死した人も、その周りの人も、責めてはいけません。
こんにちは。亀山純史と申します。
この世に生を受けた私たちの人生は、本来、生きる方向へ向かうはずです。しかし、時として、その生を自ら終えてしまう人がいます。彼らはこの世での生にもがき苦しみ、その帰着点として、自死を選択したわけです。私は、「自ら命を絶ってはいけない。」と叫び続けます。どんなことがあっても、自死してはいけないと。それでも、現在の日本においては、多くの人が自らの命を絶っているのです。自死において責められるとすれば、自死した本人ではなく、もがき苦しんでいた彼らを救うことが出来なかった周りの人たちでしょう。なぜ、気づいてあげられなかったのか、なぜ、止めることが出来なかったのか、と。それでも、ここで周りの人たちを責めてみても、自死した人たちにプラスになるようなことは、何一つないです。また、心のケアが必要な自死した方のご遺族を責めてはいけません。ご遺族に対してはどこまでも寄り添ってあげることが大切です。
自死も含め、どのような死であっても、誰かを責め続けていては、亡くなられた人、そして残された人たちに、心の平安は訪れては来ないでしょう。大切なことは、残された人たちにとって、亡くなられた人の死が何を語ってくれるのか、それに耳を傾けることです。「死者は沈黙す。されど、死は雄弁なり。」という言葉があります。亡き人はもう声帯を震わせ私たちに語りかけることはありません。しかし、その人の死は、残された私たちに様々なことを問いかけ、語りかけてくるのです。お寺に生まれ育ったからといって、精神面でほかの方と大きく異なるわけではありません。彼との出会いを通して、あなた自身が感じた様々なことを、これからも大切になさってください。
以上が私からの回答です。お役に立てれば幸いです。
意味や価値はどこにある?
自死は間違い とか その先輩の自死は間違い という物事における固定・実体的な不変の意味や価値というものを仏教では考えません。
意味や価値というのは物事ではなく、物事を見る人がその時の思想や都合や判断によって見出すもの。つまりは後付けの二次副産物です。
ですから上記の例がAさんにとっては間違いでもBさんにとっては間違いじゃないということもあれば、Aさんの評価もBさんの評価も時と場合によっては変化し得るものなのです。
あなたがその先輩の自死は間違いではないという思いをお持ちなら、その思いを大事にしてください。そして他者の考えもまたそれぞれに大事なものであることを見出していきましょう。
病死みたいなもの
「うつ」の症状の一つに、希死念慮(自殺願望)があります。
ある専門家は、自殺者の9割は「うつ」の可能性がある、というようなことを著書に書いておられました。
風邪をひいたら熱や鼻水という症状がでるように、「うつ」になると自殺願望が出てくる場合があるのです。
ですから、自殺者の多くは「うつ」で亡くなった、病死みたいなものです。
風邪も「うつ」も、日頃から予防することが大事ですし、症状が出てきたら医療の助けも必要です。
その先輩は、予防も治療もまにあわなかったのでしょう。
それは悲しい出来事ですが、風邪をひきたくて風邪をひく人はいないし、「うつ」になりたくて「うつ」になる人もいませんよね。
だから、すでに自殺してしまった人を罪人のように責めるのはおかしいと思います。
一方で、自殺する前には、自殺を思いとどまらせるのが大切です。
医学的なデータは知りませんが、私の個人的な感覚として、仏教は「うつ」の予防、脳・神経の健康維持に役立つと思います。
しかし、実際に「うつ」、脳・神経の不調になってしまった場合には、やはり医療の助けが重要です。