弟の不幸を願ってしまう。
弟は容姿が良く友達も多く、ガールフレンドもいて自信家です。自分は何でも出来ると思っていて、実際、今までに特に大きな失敗も無く生きてこれています。
恐らく弟は社会と関わるのが上手いタイプの人間なんだろうなと、見ていて思うのです。
一方質問者の私(兄)は、弟とは正反対のタイプ。幼少期から社会と関わるのが苦手で、容姿にもコンプレックスを持っていて、友達もいない、ガールフレンドなんて以ての外。
まさに私は社会と関わるのが下手なタイプの人間です。
そんな私は、社会で上手くいってる弟から何かを学ぼうと思い、弟の良いところを探そうとするのですが、容姿以外で良いところが全く思い浮かびません。
「自分さえ得をすれば良い」と思ってる部分や、自信を持ちすぎている部分、誘われるがままに遊びに行く自分の意思の無さ等々、弟の悪い部分ばかりが目に付きます。
そんな(私から見て)性格的にダメな弟が、あまり苦労もすることなく、社会で上手くやってるのを目の当たりにすると、時々すごく腹が立つというか、素直に弟の幸せを喜べない自分がいます。
ダメな事だとは分かってるんですが、弟に対して「何かで失敗して、苦しんで欲しい」とか、「死んでしまえばいい」とか本気で思ってしまう時が結構あって、そんな自分がすごく嫌です。
弟には、他人を思いやれる人間になって欲しいと思ってます。その気持ちが強すぎるのも良くないのかもしれません。
どうすれば、本心で弟の幸せを願うことが出来るようになれるでしょうか?
アドバイスを頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死生観
拝読させていただきました。
最後の文面の他人を思いやる人間になって欲しいという願いがお兄様である無敵マンさんの本心ですね。
無敵マンさんはご長男でありますね?
責任を背負っていることを重きにおいておられることから、弟さんの行動にこれではダメだろという観念が嫉妬感等に移行してしまっていると感じます。
タイトルの「死生観」では、無敵マンさんは人生に終わりがあり、今をしっかり生きないといずれ、蘇生感に弟さんが苦しむことが目に見えてしまうことが心のどこかにあると思います。それは弟を羨む気持ちではなく、弟を思うお兄様の優しい気持ちから起こっているものです。
容姿や行動に長けている人は人で、苦しみを必ず感じます。他人や異性が接してくる行動は、容姿を入り口として対面してくることが大きいので。心で対話できることが遠縁になりがちになります。
しかし、人生には無風はありません。風が生きていれば、色々な台風などの風にも遭遇することが到来するものです。その苦難の風に遭遇されたときに、蘇生術をしっかり身に付けておかなければ、弟さんの心は人生の怖さに直面されることでしょう。
「人生追い風ばかりは吹きません
向かい風のときこそ、試される我が人生」
苦難が生じたときには、慈悲が欠乏していることを伝え、相手を思いやる大切さを伝えてあげる時期が来ましたら、助けてあげる気持ちで構えてあげてください。
合掌
弟さんのことばかり見ているようですが、先ずは自分自身を見ましょう。
あなたにも何か優れた所があると思います。
地味な仕事でも毎日コツコツまじめに働くこととか、家族に対して思いやりを持って接することができるとか。
あなたの長所を伸ばしていきましょう。
そして、いつかは弟さんが「兄は見た目はイマイチだけど、こういうことができる凄い人なんだよ」あるいは「兄は不器用で他人とのコミュニケーションとか苦手なんだけど、お客さんの為にいつも一生懸命なんだ」などと自慢できるような、そんな背中で語れるような兄になってくださいね。