変えられない自分の過去について
初めて質問をさせていただきます。
自分の過去の間違った行動について、どのように向き合っていけばいいのか分かりません。
私は幼少期に父から性的虐待を受け、その後セックス依存のようになりました。
セックス依存というよりは、とにかく男性に嫌われることが怖く、求められれば「自分にはまだ価値がある」と思える気がして、好きでもない方とも関係を持ちました。
ところがその事実が職場で暴露されてしまい、私が心の底から愛した男性を失望させ、振られてしまいました。
彼と出会って、自分を変えたいと思い、それまでの生き方を反省し、心療内科に通い、投薬やカウンセリングを受けていた矢先のことでした。
今でも彼のことを愛していて、もう一度会いたいと思います。
ですが、周囲の方の声や、過去の自分の過ちから逃げることができません。
自分がいくら努力したとしても、人の心や自分の過去は何も変えられないのだと実感しています。
どう考えたら、少しは前向きに生きられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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主体性を取り戻す
ご相談拝読しました。
職場で過去を暴露されてしまい、愛する男性に振られてしまうに至ったことは大変お辛い事と思います。しかしこれから前向きに生きていきたいというあなたの言葉に、あなたの強い願いが表れている事と思います。一緒に考えて何かできることを実践して参りましょう。
さて、仏教では全て無常(常ではない・永遠不滅ではない)であると説かれます。形あるものもないものも人の心もそうです。
あなたが自分を変えたいと思い、それまでの生き方を反省したという変化も、彼との出会いなど様々なご縁(環境や条件)によるものでしょう。人間は縁によって成立しているのです。
過ぎ去った過去の事実は確かに変えることが出来ません。しかし過去は実体ではありませんから、常にあなたは過去を今の心・認識で思うのです。つまり変えられるとしたら過去のとらえ方でしょう。
今これからどうするかが、過去を無駄と切り捨てるか、過去を邪魔ものと排除しようともがくか、それとも過去を活かすのかを規定していきます。
これを業(ごう)と言います。業には身業・口業・意業があります。すなわち、何を為し・何を語り・何を思うか、このことが今これからのあなたの考え方や在り方に影響を与えていくのです。
善い業は善い報いを生み、悪い業は悪い報いを生む。これが自業自得・因果応報・善因善(楽)果・悪因悪(苦)果です。
これは実体的あるいは客観的な善悪や苦楽があなたと離れて存在し、自らの業によってそれらが運命的にもたらされるという話ではありません。
あなたが何を為し・何を語り・何を思うかというあなたの業があなたが主観的・主体的にご縁、すなわち人生をどう捉え、どう考えていくかに影響を及ぼすということです。
いくら「ゼロからのスタートだ!」と割り切ろうとしたところでこれまではなかったことにはなりません。人は過去を引っ提げ、未来を憂い、モヤモヤ・愚痴・不満を抱えて生きていくものです。そこから逃れることはできません。
だからこそその中において何を為し・何を語り・何を思うか。
あなたがあなたの過去を受け入れ、過去を活かそうと前向きに受け止めていくならば、他人からの評価を恐れる気持ちは減っていくのではないでしょうか。価値は他人に測られるものではありません。
あなたがどう生きたいかという主体性の問題です。