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仏の教えを実践出来ず

回答数回答 2
有り難し有り難し 36

以前 こちらで 二度 質問、相談させていただきました。
その節は 大変 お世話になり ありがとうございました。

今 悩んでる事は、
お寺での法要の後や、YouTubeで有り難い法話を聞かせてもらったり
お寺で開催される 仏教についての勉強会に参加したり
仏教についての本やHPを読んだりして、 少しは 仏教についてわかるようになってきました。
でも、いくら仏教について学んでも 有り難いお話を聞いても 日常生活で実践出来ない。
自分を変える事が出来ない。
そんな愚か者の自分 が、つくづく嫌になってしまいます。
私が一番好きな観音様のように、慈悲の心で人に接する事が出来ない。
知識ばかりが増えて内面を変えられないジレンマ
それが苦しい。
中途半端な信心なら しない方がいいのかな。。。
なんて最近思ってしまいます。

ちなみに、真言宗のお寺が好きで、法話や勉強も 真言宗のお坊さんから 聞かせてもらってます。
大変失礼ながら、できれば真言宗の僧侶の方から
愚かな私に、厳しいお言葉を頂けたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

八正道の軌道修正へと向かっているのです。

私たちは煩悩と共に生きています。
仏の教えを学んでいく内に、自身の生き方が仏の教えと逸れていっていることにどんどん気付くのことが、大切なのであります。
その気持ちが芽生えたからこそ、仏の偉大さに気付き、自身はどうすればいいのかと感慨深くなるのです。

例えば、コケて化膿したならば表面に絆創膏を貼っても一時凌ぎにしかすぎず、体内の菌や膿を出さないといけません。
このように分かっているけど、絆創膏を貼っていれば大丈夫かと思うのが煩悩です。

この煩悩を真言宗では大欲とするのです。「自利」自身に利益になるよう心に えみプーさんは発心が芽生えたのです。

お大師さんのお言葉に
「頭を剃って 欲を剃らず 衣を染めて 心染めず」
と、あります。

どうして、私はこうなんだろうと気付いていくことが、仏に一歩近づいた印なのであります。

懺悔文を唱え、発菩提心の真言を唱え、御宝号を唱えることで、気持ちが変化していきます。(簡略)

お釈迦様は八正道という正しいことを示されました。しかし、人は何が正しくて、何が正しいのかと迷います。

かの有名な一休さんは
「釈迦というイタズラ者が世に出でて、多くの者を迷わすかな」
と、言ってます。
これはお釈迦様を非難しているのではなく、自身の生き方の間違いに気付かせ、自身の考え方を打ち破ることをお伝えしていると思います。

この度のご質問で、悟りに近づく外道から中道に乗ろうとしているお心が発心されたことで、仏と近づいたことであります。

ゆっくり、ゆっくり仏道を共に歩んで参りましょう。

合掌

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三密加持

えみプー様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生もまともに進められているとは到底思えておりません・・

しかし、それでも諦めずに仏様に近づけるように努力していくことが求められるところとなります。

弘法大師は、「即身成仏義」において、「三密加持すれば速疾に顕わる」とおっしゃられておられます。

真言宗の場合、「三密加持」により、身口意の三業を仏様と同等までの清らかなものに調えていくことが求められるところとなります。

拙生は、真言宗ではなく、チベット密教の行を勤めさせて頂いておりますが、チベット密教においては本尊瑜伽の行の実践があり、ある意味では、三密加持による身口意の三業の清浄を修する面がございます。

最初は、カタチだけから、見よう見まねから、それでも少しずつでも仏様に近づけるように継続して努めて参りたいものであります。

もし可能であれば、高野山での結縁灌頂を受けられるなどされて、そこから日常勤行的なことを始められますのも。

ちなみにチベット密教においての日常勤行(六座上師瑜伽・本尊瑜伽、生起次第・究竟次第など)も、簡単な真言を唱えるものから、2、3時間は掛かるものまで、幅広くあります。今の自分の生活、ペースに合わせて進めていくことも可能となっています。(但し、無上瑜伽タントラの灌頂では、必ずその後の行に関しては、導師による指示を守ることが必要となります。)

とにかく不断行として、毎日の実践が、少しでも仏様に近づいてゆくためにも大切となります。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

法源様、英俊様
心に響く 有り難い お言葉を ありがとうございます。

仏様に近づくにつれ、愚かで汚らわしい自分に気付かされ、その後ろめたさから、仏様に近ずく事すら許されない存在なんじゃないかって 思い詰めていました。

今は 膿を出す時だったんですね。
膿を貯めてる時、出す時は 大変な痛みを伴いますね。

以前 体のある部分に おできが出来て 病院にかかった事があります。
かなり膿が溜まってたみたいで いきなりぶっとい大きな針を刺され 間髪入れず ギューっと 膿を絞り出されました。
手も足も硬直して、失神しそうなくらい 痛かったです
でも、膿を出し切った後は 驚くほど 楽になりました。
でもまた、しばらくすると また同じところに 膿が溜まり始めたんです。
一度目の恐怖から、今度は自分で膿を出す事を試みました。でも 一度 開いた 大きな穴から、さほど苦しむ事なく 膿はスルスルと出てきてくれました。

この経験を通して、この度の回答から、なるほど こういう事だったんだと
ハッと気付かされました。

膿は溜めれば溜めるほど しぼり出す時間は長いし、痛みも伴う。
だけど ひとたび 穴を開けてしまえば 後は そう苦しみもなく溜まった膿は出せる。

今は 穴を開けて、たくさん溜め込んだ膿を出してる最中なのかな。。。

諦めず、少しずつ少しずつ 継続して 仏様に近づけるよう 日々 精進して生きたいと思えるようになりました。

また、英俊師が教えて下さった、結縁灌頂も是非 受けさせて頂きたいと思います。

お大師様の教え、密教の教えは 本当に 深く 有り難い教えですね。

今回 ご回答くださった 無憂庵の法源様、六萬寺の英俊様 共に 大阪のお寺という事なので お礼を兼ねて 参拝をさせて頂きたいと思います。

この度のご回答に深く感謝いたします。
ありがとうございます。

心より合唱いたします。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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