生きるとは
去年仕事を辞めてずっとニートをしています
辞めた理由は馬鹿らしいのですが生きてる意味が分からなくなったからです
この歳になって自分の人生を振りかえってみると空っぽすぎて何一つ誇れるものがありませんでした
ただ生きている事に幸せは感じられなく何か自分にも自己満足でいいから自分を認めてあげられるものが欲しいのと思ったのですが
熱中出来るものが無く努力も嫌いで能力の無い自分には何も出来ない事を改めて知り
何もする気ならなくなり一年近く部屋にこもっています
頑張る事を放棄して来た自分が今更何かやれるわけもなく
消えたいと何度も願いましたが死ぬ勇気もなくどうにもなりません
もう自分とどう向き合えばいいか分かりません
めちゃくちゃな文章で申し訳ないのですが僕はこれからどうしたらいいのでしょうか
やはり死が救いなのでしょうか?
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昔の人ほど何でも良いからとりあえず働いていた
私の同級生に真面目な女の子と、サボり体質の男の子がいました。女の子は「私、キャリアウーマンになる!」と言ってアパレル業界に飛び込みました。男の子は「僕、サボリーマンになる!」と言ってコンパ(?)で先輩にサボリーマンの確約を取り、建設だったかな?に入りました。中々にやり手です(笑)
ところが数年後、ゼミのOB会で会った時に聞きました。女の子は不況のあおりを受け、当時流行りのワークシェアリングで働きたくても週2,3日しか働けない。男の子の方も新人研修が終わるとすぐに子会社に飛ばされ、そこはトンデモないブラックだった。実は先輩の方がやり手だった。
こんなハズじゃなかった!
小学校も中学校も高等学校も夢を持て、理想の自分を描けなんて教えますけど、あんなモン嘘ですぜ。実際の社会の大多数は「○○をしたい!⚫︎⚫︎でありたい!」と考える新卒を喜びません。「⚫︎⚫︎でありたい!」という思いを持てと言う人がいても、大概の場合、その「⚫︎⚫︎」は上司や会社の理想の「⚫︎⚫︎」ですわ。あの教育でいったい誰が得をしたのでしょう?
バブル期に入ってからそういうこと教え出したんだろうと思いますけど、それから日本人の自死率は右肩上がりでした。今になってようやく下がり始めましたけどね。ようやくみんな分かってきたんです。間違っていたと。だから最近こう言う元アスリートが増えてきたでしょう?「無計画にスポーツに打ち込みすぎるのは危険」と。
でもね、それで良いんです。日露戦争の英雄なんて面白いんですよ。勉強して偉い政治家になりたかったけど、実家にお金が無くて挫折。仕方がないからお給料もらいながら勉強できる軍人になった。んで、頑張りまくったわけはなく、要領良くやった。同期に「なんでお前は全然勉強してないのにいつも学年トップなんだ?」と聴かれ、「過去問から試験官の傾向と性格を分析すれば何が出題されるか分かるじゃん?」と答えた。で、結局、ロシア帝国海軍の傾向と性格を分析しまくってノーヒットノーランをキメて英雄になった…秋山真之という人物です。
戦前の日本では、軍人とはサラリーマンくらいの一般職でした。全然、大した理由で就職しちゃいません。
本当はね、仕事する理由は『食っていくため』、『ニートした方が辛くなるから』これで充分過ぎるんです。これで充分に充実した人生になるんですよ。
生きていても苦しい、死ぬのも苦しい
お釈迦さんは一切皆苦であるとおっしゃっています、すべてのものはみーんな苦しい
もっと言うと「生老病死」、これはつまるところ
知らん間に生まれてきた!、何これ生きるって苦しい!
なんか年取ってるんやけど!、体力も落ちて肌も弱ってくるんちゃうのこれ何苦しい!
病気してんけど!、早寝早起き三食食べてんのに何これ苦しい!
死にそうなんやけど!、死にたくない嫌でござる嫌でござる!
まぁだいたいはこんな感じです、つまるところ免れないどうしようもない苦しみです。
死そのものは別に救いではありません、死は死です、死ぬんです
救いとは死んだ先にお浄土へ往生させてくれるという確約のことです。
それでですね、春樹さんと同じ20代ですのでその想いとして真っ向からぶつけさせていただきますとですね
誇れることなんか何もねぇ、まして20代のうちで人に胸を張って堂々と誇れることがあるほうが珍しい
自分は別に特別でも何でもない、ただの凡夫や、特殊な能力やら何やらがあるわけでもないただの凡夫や
今まで頑張ることを放棄してもそれは今までの話でこれから先どこかで放棄しなければいい、俺だってこれまで色んなことから逃げてきた、弱音吐いて仕事を辞めたこともあった
せやけど僧侶になってからも逃げたいことも沢山あるけどそれでも辛い思いしながらプレッシャーにも潰されそうになりながら叱られながら泣きながらでも踏ん張ってる、自分なりに何とかしようとしてる、今まで散々色んなことから放棄して逃げ続けてきたけども!
まだお互い20代や
生きるだけとりあえず生ききってから振り返りましょうや、そのときに最後に何か1つどんなに小さなものでも誇れるものがあればそれでいいと思いますよ
だって凡夫ですもの、色々な小さな罪を積み重ねて汚れきったこの身体ですもの、それでも十分ではないですか
衣食住を自分で得られるように
生きるとは、苦しみに反応して動き回ることです。
お腹がすいた苦しみに対して、食べものを探そうと動く、など。
あなたが本当に生活に困ったときのことを想像してみてください。
熱中できるものとか、誇れるものとか、そんな楽しいものばかりが、人間の行動の動機ではありません。
明日の寝る場所、今日の食べものを得るために、どんなつまらない仕事でもしなくちゃ仕方ない、それが普通の人生なのです。
トイレがしたいも苦しみ、トイレが終わったら部屋に帰りたいも苦しみ、こっちの苦しみから次の苦しみへ、苦しみから苦しみへ逃げまわり、逃げた先もまた苦しみ、それが人生です。
自分の衣食住を自分で得られるようになることを、当面の目標にしては?
朝起きたらまず蒲団を整える
「頑張る事を放棄して来た自分が今更何かやれるわけもなく ・・・」とのこと。
今まではそうかもしれません。しかし、明日のことは分かりますか。1年後のあなたは?
誰にもわからない。そんな誰にも分からないことを決めつけて、生活しているなんて。それはあなたの我(ガ)です。
まず、時間を決めて生活をする。朝決まった時間に起きて顔を洗い、食事をいただき、歯を磨く。
外に出てみましょう。玄関を出たら大きく息を吸い空を見上げる。
大きめの歩幅で、腕を振って下を向かずに散歩を1時間。
ただ景色を見て音を聞き、香りをかぎ歩く。損得良い悪い自分(我)を置いといて、
自分が自分の意志とは関係なく生かされていることに気付くことでしょう。
そこに気付いたら、何をしてもいい。こうでなくちゃなんてないこともわかるでしょう。ネガティブな考え方なんか出てこない。
顔が下を向く癖があったら意図的に空を見る癖をつける。これだけでも違うものです。