真の天才に出会い嫉妬が抑えられません
真の天才が居ることを知ってしまい、なぜ自分がそうでないのか、と嫉妬が抑えられません。
全く勉強のかけらすらもしておらず、パチンコ、カラオケ、ビリヤード、女遊び、麻雀をして過ごし、しかしそのパチンコなどで何百何千万と稼いでいる。
成績は常にビリで留年ギリギリのところから、僅か1ヶ月足らず1日数時間の勉強で偏差値を100以上伸ばし、暗算で数学オリンピックの問題を軽く解いてみせるまでに、アッという間に全国トップレベル、そのまま東大理科三類(医学部がある、日本で最も難しい大学)に入学。
運動が極めて得意で、陸上部より早く走り、格闘部よりも強く、ラグビー部よりもベンチプレスを挙げ、145キロの速球を投げる。
誰にでも優しく、人当たりが良くて好かれている。もちろん自分にも。
事実は小説より奇なりとは言いますが、この話に一文も嘘偽り無く、自分がこの目で実際に見たものなのです。むしろ僅か一部のエピソードなのです。
これはあんまりではないでしょうか。
彼に対する嫉妬が抑えられません。
そして嫉妬しかできない自分が情けないです。
この物語の主人公は自分でなく彼で、自分は彼の物語の脇役なのでしょうか。自分は主人公にはなれないのでしょうか。
この気持ちをどうすれば良いのでしょうか。
どうかお答えください。
ある人物のことを妬ましいと思っている自分が恨めしい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自己完結は孤独な世界ですよ。
僕は今は羨ましく思わないです。
天才と思える人に何人も出会ってきました。
天才も自作自演 自己完結で終わっちゃうと待っているのは孤独な世界です。
天才さんは悩みないんでしょうか。
悩みを打ち明ける人はいるんでしょうか。
淋しい天才さんにならぬよう、天才さんにも寄り添い支える人が必要となる時期はやってきます。
私は釈迦を越えようとは思いません。
親鸞を越えようとも思いません。
自分が釈迦や親鸞の代わりになろうとも思いません。
子を育て、親を育て、心を耕す日々があればそれで十分です。
羨み続ける限り相手の人生の付属物になってしまいます。
その人に限らず、凄い人はいっぱいいます。
自分より秀でた能力をお持ちの方だらけなのがこの世だとお考えください。
しかし、その凄い方々でもかなわない凄いものをあなたもお持ちのはずなのです。
そして、その凄いものは自分の中を探して磨き上げないと現れ出ては来ないのです。
(天才と呼ばれる方々も人には解らぬ所で労力を割いているものです。)
誰かを羨んで嫉妬している限り、あなたの人生はその誰かの付属物に成り代わってしまいます。
どうか、ご自分の人生で最高のものを探求してご自身が輝いてください!!!
自分に取って 何が 一番楽しいか、幸せを感じるか、
を探してみてください。
あなたはあなたを生きるのみ
あなたは「あなた」、である。
その人の人生を生きることはできません。そのひとにあこがれることはあっても、その人のようになろうとしたり比べたりすることは、苦しみを生むだけです。
その方でなくても人と比較することはやめましょう。
私がいくら頑張ってもスマップになれないように、誰かの人生を生きることはできないのです。
そんな無理なことを望むより、救われる道があることをお釈迦様はとかれたのです。
それが仏道です。
2500年以上その教えが受け継がれているのです。
それはお釈迦様以前からずっと存在する人間の考えの及ばない真実のことでしょう。その真実真理のよって私たちはただ生かされているということに気付きましょう。