お坊さんの財テク
今日 日経平均の下落に賭けるお寺、京都の青蓮院門跡が日経平均レバレッジETFを6億円空売りしました。
株とは、人の雇用であり将来 値上がりを期待し投資します。株価は、経済先行指数といい、株が上がれば景気がよくなる兆しとなります。
しかしながら空売りとは、値下がりを期待したもの、大口でしかければ、それだけで、値段は動いたりします。
つい最近も18億円を 高野山真言宗、お布施を外国債などで資産運用し失敗してます。
質問は、財テクがお坊さんの中で流行っているんでしょうか?
お寺の維持には 檀家だけでは なかなか回らないんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教財一如
法儀相続のためには寺院を護持せねばならず、お金のことに無関心ではいられません。しかし仲間内で話すのは、法事や葬儀の件数や必要経費のことで、財テクの話はほとんどありません。御布施だけで成り立たない寺院の住職は、兼業されるか布教に出回っています。
私も以前証券会社にいましたが、寺院は確かに有望な対象先です。昔の織田無道のような人が居ないわけではなく、収入がスゴイ寺院は確かにあります。ただ外見からは財務内容まで分からないので、手当たり次第に営業しているのです。春先に新人営業マンが飛び込み営業に来ますが、昔の自分を見るようで断るのも忍びないです。
稼ぐこととは無縁な世界に居ることが僧侶の存在意義であり、投機資金を持たないことが僧侶の矜持だと思います。
ハンドルを預けるべき人
アイドルやアーティストが単体でよほど売れっ子でも、その収入のほとんどは結局事務所です。かりに独立しても、事務所の後押しがなければ業界では❝消されて❞しまいます。
僧侶の業界はどうかというと、坊さんは税金がかからなくてイイね、と言われますが、実際のところは、各寺院に本庁や本山など宗費、宗務所費、教区費、報恩金、恩金、恩金、(*´Д`)マタ?何かにつけて恩金という業界税、業界年貢が課せられているのが実情です。これらは各宗派の本庁や本山に奉納というかたちで吸収されます。その年貢率?は大きなお寺であればあるほど多くかかります。経済的に大変なお寺は大変苦労しています。
ただし、その集められた資金の運用のされ方が、誰がどのように運用するかによって宗教活動から逸脱して問題になる、ということはあります。刃物も、権力、兵器も、誰の手に預けられるかによって、用いられ方が間違えられてしまうことがあります。
私どもの業界でも、集められた資金の運用を誤って大きな損失を出した人間がいたと伺っております。嘆かわし限りでございます。
僧侶、僧籍という立場を忘れて、他者のうまい話に騙されて、底なし沼にはまってしまうような人間は残念ながら存在します。
映画「マザー・テレサ」の最終部にマザー・テレサが会議に並んでいたペットボトルの水をみて「いくらなの?」と問い、その水の値段の高さにあきれて、原点を見失った会を解散させるシーンがありました。
宗教の本道を忘れて利潤ばかりを追求したり、教団の強大化ばかりが本道になればそれは宗教の名を標榜していても道から外れしまったと言わざれざるを得ません。
流行っているとは思いません
坊主とは坊(僧侶の住まい)の主ですから、本来は住職とほぼ同義でしょうか。ただ、一般的には坊主という言葉は住職を指すのではなく、僧侶の砕けた言い回しになっているように感じます。
坊主が財テクをしているか、と言われれば、そうやってしている人も実際にいるでしょう。しかし、流行ってはいないと思います。
ちなみに住職と僧侶は違います。僧侶は仏弟子でありますから、心を磨くことに専念すべきで、経済観念は不要です。ですが、住職には伽藍を維持する為にもきちんとした金銭感覚が必要でしょう。昔から、寺社には「富くじ」などがあり、経営能力の高い住職がお寺の規模を大きくしていったと思います。そういう意味では住職が財テクをするのは悪いとは言えません。ただし、お寺は住職のワンマン経営ではなく、代表役員としての住職と、複数名の責任役員で経営されなくてはいけませんので、そこはきちんと線引きをすべきです。たくさんの利益を出して境内整備や世の中の為に使えばいいのではないでしょうか。しかし私腹を肥やすために行うのであればたとえ100円だって檀信徒の皆さんは眉をひそめるでしょう。
檀家さんだけでは維持が大変なのは確かですが、それはどの職業だって一緒です。皆さん一生懸命に会社や、お店や、家族を維持しているのです。大変だと不平をいう住職はさっさと罷免すべきだと思います。大変だけどやりたい、住職になりたい、と希望に燃える僧侶が大勢いるのですから。
SRI(社会的責任投資)
まつくん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
本山クラスの大寺院で無い限り、ほとんどの寺院、お坊さんにおいては、財テクできるほどの資産的余裕がないのではないかと存じます。
拙寺にも大手証券会社の営業の方がしつこく来られて、資産運用の話を持って来られましたが、資産的な余裕も無く、また、宗教法人という公益法人の性格上、リスクの高い金融商品に手を出すことはできないため、更には責任役員会でも認められない(運用規程・規律もないので国債すらも買ったことが無い)という旨にて、きっぱりとお断りを致しました。
一時の宗教法人への資産運用の勧めの背景には、欧米で規模が拡大しているSRI(社会的責任投資)という考え方の影響が強いものであるのではないかとは存じます。
例えば、予防接種のための国際金融ファシリティ債(ワクチン債)などのコミュニティー投資やグリーン購入などの環境配慮型投資債など、宗教法人、公益法人でも社会的意義の高い投資、公益的投資であれば、許容されやすいというメリットを見越してのことでしょうが、正直、これらへの投資による資産運用で利益を見込むのは難しいものがあるかとは存じます。
実は、拙生もワクチン債の高い公益性の意義を理解して、お寺で買うことは到底無理ですが、私のなけなしの預金でよければと、当時はまだ結婚も予定していなかったので預けたのですが、高利回りであったものの、外貨連動型で、やはりリスクが高くあり、購入時から下がる一方で満期を迎え、最終的には損失が出てしまいました。結局、二割は目減りしたように存じます。
まあ、それでも救われる子どもたちが数万人いるのであれば、それで良かったとして、当然にリスクも最初に覚悟していましたので、あまり損失とは思わずに、善いことができたと逆に満足しているぐらいでございました。
仮に、高野山真言宗の資産運用もSRI性が高く、公益的なものへの投資であって、そのことを説明していれば、あれほどの批判は無かったのではないかとも存じますが・・実際は分かりません。
ただ、いずれにしましても、仏様のことで頂戴いたした御布施などのお金は、できうる限り仏様のお志に適うこと(公益・慈善性のあること、仏法興隆等)でお返ししていくのが大切であり、私利私欲や傲慢に使うことはやはり許されないかと存じております。
川口英俊合掌
いろいろな人が居ます。
日本全体のコンビニの数より寺の数の方が多いそうです。
ですのでいろんな人が居ます。
大きなお寺など裕福な寺もあるでしょうが、寺だけでは食っていけず
副業を持っているお坊さんも居ます。
また大きな伽藍を維持するのにはそれなりの費用がかかります。
本堂の建て替えになると何億という費用がかかります。
しかし、本来の宗教の姿から考えると財テクというのも
おかしな事かもしれません。
しかし、檀家さんから預かった大切なお金を無駄にしないことは
大切な事と私は思っています。
しかし、損する人が居るから儲かる人も居るのが経済です。
檀家さんから預かったお金をまた返していると思えば、
それも道理にかなっているのでしょうか?
しかし、それをまた寄付と称して集めるとなるとまた問題ですね。
どんな人が、どんな寺が、どんな宗教が大切かまつくんさん自身が考えて下さい。
目的と手段
まつくんさま。なごみ庵の浦上哲也です。
私は財テクとか株には全く疎いのですが(なら回答するなと言われそうですが)、ちょっと感じたことを書かせて頂きます。
大きな寺院や本山などで資産運用をして失敗した話、時々聞きますね。
なんでそんな事をしなければならないんだろう。上手くいっても失敗しても、どちらにしても良く思われないだろうに、と私は感じていました。
特に今回質問文に上がった方法は、企業を応援しつつ共栄を目指すというものではなさそうで、マネーゲームのように思え、眉をひそめてしまいます
確かにお寺の維持や運営にはお金が必要です。境内や建物の規模が大きいのに檀家数が少ないお寺などは、とても苦悩をなさっていると思います。色々な方法を模索して、代々続いているお寺を護持すべく努力すべきでしょう。
けれど、仏教は諸行無常を説く教えです。宗派やお寺がなりふり構わず、何をしてでも存続させなければならないと血相を変えるのは、合わない気がいたします。
またお金もうけを第一の目的とするお坊さんもいるようですが、それはすでに僧侶ではなく、その方がいる所は寺でもないのだと思います。
理想と現実、難しい問題ではありますが、目的と手段を取り違えないように私自身も気をつけたいと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。仕事柄 証券会社に勤めてますが、大量の資金が株の値下がりを期待する空売りがなされていて、日本は、大体 値上がりで利益がでる買いでスタートしてます。景気が低迷する事を期待しての空売りをお寺の法人がやるのはいかがなものかと…ちょっと思ってしまったしだいです。
どんなお寺が大事か?私だけでなく皆、お寺は葬式と墓参りする場所という認識でしたが、お釈迦様の教えや仏教の世界は、素晴らしいものだと知り、学びたい 実践したいという欲から毎週お寺に通ってますが、法事のみにならず、常に開かれたお寺は、大事だと思ってます。
しかし…それには副業は難しいし、なかなか維持していくのは大変なんですね。
回答ありがとうございます