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葬儀での振る舞い

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悩みは妻が葬儀の時に、霊前で焼香の時安らかにお眠り下さいと願ったあと、地獄に落ちろと思ったようです。とてもお父さんが好きだったようでなんでそんなの事思ったのか、ずっと反省と後悔をして不眠症で病院に通っているのですが良くなる気配がないです。本人は生き地獄の末、死んでからも地獄に落ちると仏教の教えにあると、言っています。どうすれば抜け出せるでしょうか?一度、お坊さんと話をしようと連れて行ったのですが、怖くて行かないと言うので。回答をお願いします


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

法事での振る舞い。人生での振る舞い

法事のことを追善供養とも言います。「追って善を行う供養」です。ここで言う善とは、悟りに近付く行い、つまり仏道修行のことです。

佐々木閑教授によると、お釈迦さま当時の法事は
①お坊さんを招いて食事を施し、お布施をしてお坊さんの修行を支援する
②お坊さんから法話を聴く
という主旨です。お釈迦さまの感覚では「お呼ばれは托鉢の上位互換。托鉢に時間を取られるよりはお呼ばれして早く帰り、節約できた時間で瞑想などの修行をした方がいい」という考えだったそうです。

現代日本では
①読経する
②法話を聴く
③故人にお膳やお供え物をする
④お布施やお斎をする
と優先順位が逆の『認識』になっていますが、こうして並べてみるとお釈迦さまの伝統を継いでいることが分かります。読経は仏様の教えを声に出して読むのですから、法話の亜種と言えます。また、故人も仏式葬儀によって剃髪・授戒してお坊さんの仲間入りをしていますから、お霊供膳やお供え物もお坊さんのお呼ばれの延長線上と言えます。

このような善行によって仏教を学び、親しみ、そして人生に落とし込んでいく…それが追善供養です。

お葬式すれば終わりではありません。七日参り、四十九日の忌明け、一周忌の喪明け、三回忌以降の追善供養…その一連のご縁の中で奥さまが善を学び行う。その功徳をお父さまへお供えする。それが仏教2500年の伝統を受け継ぐ『抜け出し』の道です。

あえて言いますが、葬儀での振る舞いはそこまで気に病むほど大したことではありません。それは例えて言えば仏教という屋敷の門でどうご挨拶したかくらいの話です。本体は屋敷に入り、座敷の席について、さぁこれからどう振る舞おうか?の方です。挽回しましょう。

追記
hasunohaの問答は掲示板のように落ちませんから大丈夫ですよ

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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お父様にはちゃんと本心が伝わっています。

ご葬儀など焼香の時、故人に対し「安らかにとか」「お疲れ様でした」「ありがとうございました」などと感謝の思いを伝えるのが通常かと思うのですが、そうではなかったというのがお悩みのようですが、時として自分でも思わね感情が湧き出る時があります。
特にお父様とのことなので、そんな思いがよぎったことが余程ショックだと思います。親子として長い時間を過ごされたのですから、良いこともそうでないこともあったでしょう。だからと言って奥様がお父様を地獄へ落とす訳ではないので、ここは気にしないことです。
それよりも感謝の心でご供養されていかれればいいと思います。
お父様には、そのことは充分伝わっています。感謝の気持ちも伝わっていますので、マイナス的なことはもう忘れましょう。

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おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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脳の回路がつながっただけ

気にする必要はありません。
葬儀という場面で必然的に、脳というコンピュータに「葬儀」「死」というキーワードが入力されたので、
脳が自動的・反射的に、関連する、知っている言葉を出力してきただけです。
インターネットでキーワードを検索したときに、最初にヒットした情報が検索者が探していた情報と無関係のものであることは、よくあります。
それと同じです。

もしかしたら、最近見たドラマか何かのセリフで「地獄に落ちろ」という言葉があったのが、無意識に脳内の引き出しに入っていて、関連キーワードとして最初に出力されたのかもしれません。
脳という臓器の、神経回路の気まぐれな反応にすぎないと、冷静に見ましょう。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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葬儀は供養よりも生きている私たちがどう接するかです。

 御質問有難うございます。葬儀で安らかにお眠り下さいと願うという事で、地獄に落ちろと思う事は、悲しい事ですねぇ。仏教で亡くなってから地獄に堕ちる事はございません。仏説無量寿経や往生要集には地獄について書かれております。葬儀は亡くなった方の供養もそうですが、生きている私たちが直面して今後どう生きていくか考えさせて頂く場ではないでしょうか。浄土真宗の教えでは、亡くなるのと同時に仏にならせて頂く教えですし、亡くなってからは先に亡くなられた方に出逢う事だという事です。     合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。少しでも気持ちが和らぐといいかなと思います。この事を伝えてみようと思います

回答ありがとうございました。わかりやすく伝えられそうです。少しでも気持ちが穏やかになればいいかと思います

ここでのいろいろな解答を妻にも見せてみました。"ありがとう"と言ってくれました、どのお坊さんも親身に答えてくれて本当に感謝しています。回復した時にはもう一度見せてみたいと思いました。掲示板なんで。消えちゃうと思うので、紙に出力しないと駄目ですが。ありがとうございました。

>>>
回答ありがとうございました。
こんなにいろいろご意見貰えると思っていませんでした。
嬉しく思っています。少しでも気が落ち着けば、いいかなと思います。勉強になりましたありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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