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周囲から「尊敬されたい欲求」を捨てたい

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人から尊敬されたい欲求を持ってしまうために、それが叶わずイライラしてしまいます。

慕ってくれていた友人や後輩と付き合いが長くなると、明らかに軽い扱いをされるようになることがあります。

これは付き合うにつれ、尊敬に足る人間ではないと明るみになった、という面が確実にあると思っていて、それは否定しません。

合理的に考えれば、その事実を受け入れ特に尊敬されようとせず付き合いを続ける・その友人後輩に興味がないのであれば自然と付き合いを減らす などになるかと思いますが、それができません。

ついつい尊敬されたいがために、連絡を入れたりその人にとって良い情報を仕入れたり、アドバイスをしてしまいますが、特に関係は変わらず相変わらず軽い扱いを受けることにイライラしてしまいます。

ここで問題なのが私は特にその友人後輩に対して付き合うメリットがなく、関係が切れてもいいと考えていることです。

それなのに「以前と同じように尊敬されたい」という欲求のために同じようなちょっかいを繰り返してしまいます。

この「尊敬されたい欲求」は明らかに私にとって負担であり、捨てたいと思っていますが、どのように考えれば良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは、他者より上に立ちたいという欲求ですか?

『慕ってくれていた友人や後輩と付き合いが長くなると、
 明らかに軽い扱いをされるようになることがあります。』
とありますが、
これは仲良くなって親密になったということではありませんか。
『これは付き合うにつれ、
 尊敬に足る人間ではないと明るみになった』
ということではないと思います。

まだ付き合いが浅いうちは、
よそよそしかったり敬語で話したりしますが、
それは尊敬しているからではありません。
あなたとの距離がまだあるからで、
あなたを敬っているからではありません。

また、
仲良くなったからと言って、
相手を敬わなくなったり下に見たりなんてないですよ。
本当に同じ目線になれたということではありませんか。

あなた自身は尊敬している人が周囲に居ますか?
その方にどのような態度で接しているのでしょうか?
ご自身が周囲を上か下で見ているから、
自分もそのように見られていると感じるのだろうと思います。

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自らを寄る辺として

拝読させて頂きました。

人から尊敬される方はそもそも人から尊敬されたいと望んで行動しているわけではありません。

尊敬される方の生き方考え方や行いは己の信念をもって人からどうこうとやかく言われたり、人の目を気にして行動しているわけではありません。

目先の尊敬されたい良く思われたいと思う心と行動はあっさりとメッキがはがれるようにその本性を露呈してしまいます。
つまり自分の独りよがり、自分のことだけ可愛いというエゴが露呈してしまいます。
その姿を人は感じ取ってしまいます。そしてその様な姿は醜聞にさえ写るでしょう。つまりは尊敬の真逆になるでしょう。

あなたも人のその様な姿を見た時にそう思われるのではないでしょうか。

本当に人から尊敬されたいと思うならば、先ずは尊敬されたいという欲を捨てましょう。

そしてあなた自身がどう自分の人生を生き抜いていきたいか真剣に考え抜いて判断して行動していきましょう。

先ずは自分の人生をしっかりと生き抜いていくことを心に定めましょう。そして自分の志しを継続していきましょう。自ずと自分の人生に自信が出てくればあなたの考えや行いは変わって参ります。そして人はそのような姿から様々なことを感じ取るでしょう。

「自燈明、法燈明」
自らを燈火として自らを寄る辺として、真理や法を燈火として寄る辺としてどうかしっかりとあなた自身の人生を生き抜いて下さいね。

それが周りの人にとっても燈火となり寄る辺となり、あなたは人にとって尊敬に値する人物となるのですからね。

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