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父が亡くなり、娘が生まれました

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今年の7月に父が心臓発作で倒れ、蘇生したものの二週間意識が戻らないまま亡くなりました。(56歳でした)

父は私の出産を心待ちにしててくれました。そんな矢先に倒れ、亡くなり、父の告別式の日に娘が生まれました。(予定日より2週間早かった出産です)

命のバトンなのでしょうか。姉は霊感があり、倒れてから《ゆずり葉》と姉に伝えたそうです。
そして父が亡くなって3日後に生まれました。
初産で、安産でした。

大好きなお父さんだったので5ヶ月経った今も育児が少し落ち着いた今とても悲しくつらいです。
会いたいです。

そして父が出棺されるときに立ち会えなかったので、まだどこかにいるような気がして…理解はしているのに、受け入れられていません。

父は私の娘を見てからあの世へ旅立ったのでしょうか?
娘はまだ赤ちゃんですが父のようにたくさんの笑顔をみせてくれます。

私がいつか亡くなった時には父に会えるのでしょうか?

何かかけていただける言葉があればお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命のバトンは、仏様の願い。手を合わせて、繋がりを感じて。

そぅ。。。辛い中で、出産したのね。
命の誕生を お父さんに伝えたかったね。
あなたが、どんな想いで、出産の時間を過ごしたのか と考えています。

大切な人の別れと出会い。
涙しながら、お父さん 力を貸して、見守ってと願いながら、頑張ったのだろうと。そんな あなたを、お父さんは、きっと誇らしく安心なさっていると思うわ。命のバトンを、あなたは繋いだのだからね。
お子さんは、お父さんの、みんなの願いの子よ。よく生まれてきてくれたわね。

人は、無常の世界に生きています。
命は、いつか、それも突然に尽きる。
あまりにも辛いものですね。
気持ちが追いつかない。
当然です、それだけ 大事な人、私の人生にとって大きな存在なら 尚更ですもの。
そんな現実があるから、その中で 苦悩する私たちがいるから、仏様は 私たちを気にかけ、必ず救うと願いをかけてくださっています。
私の浄土へ生まれておいで、と。

お父さんは、死んでしまったのではなく、あなたのお子さんの誕生と同じように、阿弥陀さまの浄土へ 生まれてくださったの。私たちも、いつか 命終えていく日がくるでしょうが、それは死ぬ日ではなく、往生(浄土へ往き生まれる)する日になる。それが、仏様(阿弥陀仏)の救い。だから、この世で、手を合わせて生きていくのです。なもあみだぶつ 。それを、お子様にも教えていってね。みんな、いつの日か、お浄土で会えるように。

その先に、お父さんは、いつでも一緒ですよ。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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人として領解し、親としてしっかりと教え伝えること

56歳という年齢がふと目に留まり、拝読させていただきました。

娘を持つ同年代の私にとって、心に染み入るちーさんの思いが伝わって参りました。余りに突然のことで、身重の貴方が状況を受け容れるには、大変なご心労であったかとお察しいたします。

連綿と紡がれる命のつながりの中で、お父様から貴方へ、そしてお子さんへと続く生の証は、貴方がたの心の中に生き続けることでしょう。大切なことは、お父様が命のバトンを手渡して下さったおかげで貴方はお子さんにそのバトンを託し、いつの日か子から孫たちへ受け継がれる絆を、人として領解し、親としてしっかりと教え伝えることです。

細胞分裂を繰り返して、一度も死なない細胞で構成される貴方やお子さんの身体を通して、お父様はじめご先祖様もすべてを承知しておられます。

これから先、ちーさんは子育てに追われながら、日常の喧騒が悲しみを遠ざけてくれるでしょう。一方で、刹那の安らぎを、深い喪失感によって奪われるかもしれない。命を紡ぐ人の営みの中で、避けては通れない道をどう進めば良いのかは、生きていく上での永遠のテーマですね。
「どうして逝ってしまったのか?!」という悲嘆の中にあっても、少しずつお顔を上げられ、その時にほんの一瞬でもお父様の立場に立って差し上げて、「父が生きていたら、家族のこんな姿を望むだろう。」という思いにまで至った時、苦しみから徐々に解放されることと思います。

今は、この苦しみから抜け出そうとか、前を向いて乗り越えようなどとは考えず、脆くて小さな命に貴方が寄り添うように、お父様を失った悲しみにいつまでも寄り添い続けて下さいね。

合掌

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初めまして。桑木茂光と申します。 大阪最北端に位置する能勢町にございます...
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質問者からのお礼

中田さま

ありがとうございます。私の身になって話して頂き、涙しながら読みました。
出産のときは、混乱しながらもどこか安心して子供を産めました。父からもらった安産守りを握りしめてたからですね。
阿弥陀さまの浄土に生まれた父。この世に生まれた娘。同じ誕生ですね。
いつか私が逝ったときには優しい父だったから迎えにきてくれる…
そう願いながら父の分も精一杯生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。

桑木さま
コメントありがとうございます。
娘が産まれたことを、父もご先祖様も皆知ってるのですね。安心しました。
父の立場に立って家族のあり方を考える。
今はまだ出来そうにないですが、産まれた娘、支えてくれる夫を大切にしていくことがお父さんは喜んでくれそうかな?と思うので頑張っていきます。
父が亡くなった悲しみ。つらすぎて…早く楽になりたいとどこか焦っていました。だけどそんなことは無理ですね。
父が生前旅行好きの人だったので「いつか日本全国に行きたい」と話してくれたことがありました。今は無理ですが、ゆっくり時間をかけて父の形見をもち、一緒に旅行へ行き父の願いを叶えていきたいと思います。
大切な娘、母、家族と共に父を失った悲しみに静かに寄り添いながら生きていきます。
ありがとうございました。

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