仏教的に霊って存在するのですか?
こんにちは。
いつも、お世話になっています。
今日は、『霊』について教えて下さい。
と言いますのも、『霊』についてはいろんな意見があります。
霊なんてないと言う人もいますし、テレビに出てくるような本当に見えているかのような人もいます。
そこで、自分なりに調べてみたら、仏教でも『霊』や死後の世界がないと言っている人もいたり、いやあるといってみたり、仏教ひとつをとっても、様々な意見があるようです。
もともと、仏陀は死後の世界は説いてないとも聞きました。
本当のところ、仏教的に霊や死後の世界はあるのでしょうか?
お答え、よろしくお願い致します。
こんにちは。 よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心理作用はすべて霊と言えましょう。
たとえば亡き人を想う。
その想う力によって個人様の影響がわが身に起こる。これも霊です。
生きている人に対しても想う。
想うことで自身の心に様々な心理的変化が生じる。
これだって霊と言えるのです。霊と言わなくてもいいのですが、人間の心というものは念ずればその念じたことによって心にケミストリーが起こります。
時には負の思いになり、時には苦しみや迷いにもなる。
霊魂というものが外にあって、得体のしれないものだという認識を持っている人たちは、自分自身も霊という事が明らかになっていないから、作り物の不確かな霊という心理作用によって自ら縛されるのです。
ホントに霊に向き合える人は、ちゃんと修行をしているから、自身の様子をよく見ることができます。心というものがどういうものであって、どういう時にどんなことを思うことでどんな変化が生じるかという事もちゃんと熟知しています。
だから、霊という事もちゃんとわかるのです。だから、なくなった人へ未浄化・未消化の思いもきちんと導き先をもって本人も霊も成仏させる力があるのです。決して絵空事ではなく理知的な作用としての霊。
禅宗でも亡き人の位牌に〇〇〇〇△△霊位と記します。
霊魂がある無しではなく、作用として確実に働いているからです。
かりに人が死んで、死んだら終わりやと思っている人であっても、その亡くなった人をぞんざいにするからこそエゴが強くなってその人が人間性や人道的な心から離れてエゴ丸出し人間になっていくというデータはすでに歴史が実証済みなのです。
関わりを重んじることなく、自分の都合で生きることは反宗教的、反人間的な生き方だからです。人間が万物の霊長と言われるのに、何でもかんでも現代人のようにもの化モノ化した生き方をすれば生きている人でさえも扱いがぞんざいになる。そういう人をこそ悪霊がついているというのですよ。悪しき精神作用が生じているのです。
生きている人を恨めば生き霊・悪霊となって本人の心が災いします。
生きている人と良好な関係を持てばお互い尊重し合ってよい関係になります。善処に趣くという事があります。生きている人同士でさえ、本人が目の前にいなくても関係が悪くなれば苦しくなるのですから、なくなった人であってもその故人様との関わりがある以上、いい加減なことをすれば本人の中で霊が悪く作用するという事です。怪しい話は全くありません。
お釈迦様は対機説法ですから、相手によって教え方が違うのですよ。
大切なことは、あなた自身にとって霊や死後の世界が有ると考えた方が、前向きに明るく正しく仲良く生きていくことができるのか。
それとも、霊や死後の世界が無いと考えた方が前向きに明るく正しく仲良く生きていくことができるのか。
あなたはどちらでしょうね。
質問者からのお礼
安穏寺 (天岑寺) 丹下覚元様
お答え、ありがとうございます。
少し、難しい話でした。
でも、心の作用も霊だと言われると、なるほどと思います。
自分の心も一つの霊なんですね。
でも、その霊は脳が死ぬとなくなっていまうんでしょうか?
・・・分からないですよね^^;
お答え、ありがとうございました。
圓常寺 三宅 聖章様
お答え、ありがとうございます。
なるほどです!
とても、分かりやすかったです。
自分の人生が生きやすくなる方を選ぶ、目からウロコです。
ちなみに、僕は霊や死後の世界があると思ったほうが、気持ちが癒やされます。