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お金に執着があり苦しいです

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こんにちは
なつと申します

タイトル通りですが、お金に対して執着してしまい苦しいです。

私は父母私の3人家族です。母、私は精神疾患で現在働けず、父の収入だけで暮らしているのですが、父の収入が低く、「食べていくのがやっと」という状態です。

そんななか、先日、約10年前に亡くなった叔父にお金を貸していたと言う人(おそらく嘘です)が家に母しかいないときにやってきて、母を脅して数万円奪い取っていきました。
警察には相談し、周辺をパトロールしてもらうことになりました。

ただでさえ貧しいなかで、このような詐欺のような形で貴重なお金を失ったのがくやしくて、つい母に「どうして簡単に渡してしまったの?」と問い詰めてしまいました。母は怖い思いをしてしかたなくお金を渡してしまったのに、ひどいことを言ってしまいました。

母を問い詰めてしまったことも申し訳なく情けないし、そのとられた数万円があればできたこと、買えたもののことばかり考えてしまって辛いです。

私がお金に執着しているのはこの事件をきっかけに始まったことではなく、過去のお金の使い方についてもそれでよかったのか?無駄ではなかったか?あのとき使わなければ今こんなことができたかもしれないなどとくよくよしてしまいます。

また、詐欺師に一度お金を渡してしまったので、また恐喝にこないか恐ろしく不安です。

どうしたらお金に執着しすぎず、安心してくらせるでしょうか。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心次第では いくらあっても足りず また 無くても平気になれる

ホントは金が欲しいのではないのです。
この意味は自分で考えるとよいでしょう。
鐘があって何をしたいのか。
それが欲しいのでしょうか。
いいえ。
もっと深いところまで見つめてみることです。

金というものは心が乾いた状態「餓鬼界」にあるといくら集めても足りません。
世界のおセレブやお金好きの人がためてためて使いきれず自分の為ばかりに使って死んでいきます。不思議ですねぇ。
あなたがここを明らかにしませんと、仮に年商何兆円の富豪と結婚しても満たされることは無いでしょう。
「お金は自分のものにはできない」のです。
年末年始の宿題にしておきましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お母さんがご無事でよかった。
もし強盗だったらお母さんの命も無かったかもしれません。
危ないところでした。
これからは家にいる時も玄関に鍵をかけて、怪しい人が来ても玄関を開けずに、警察に電話するようにしましょうね。
玄関にそのように書いた紙を貼っておくといいですよ。
お母さんは後悔していると思いますので励ましてあげてくださいね。
悪いのはその人であって、お母さんじゃないですからね。
また、お母さんが連帯保証人になっていなければ、叔父さんの借金を払う義務はありませんからね。
それにしても、お母さんがご無事でよかった。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

丹下覚元様

ご回答ありがとうございます。
とても参考になりました。
この年末年始にしっかり考えようと思います。

三宅聖章様

ご回答ありがとうございます。
本当にその通りだと思い直しました。
母から話を聞いた直後は「どうして簡単にドアを開けてしまったんだ」「どうして警察を呼ばなかったんだ」と事件を防げなかったことばかりに頭がいってしまいました。
しかし、三宅様のおっしゃるとおり、もし来たのが刃物を持った強盗だったら母の命はなかったかもしれませんし、怪我をしたかもしれません。母が無事だっただけ幸運だったと思うようにします。母にもしっかり謝って、今後の対策をしたいと思います。
ありがとうございました。

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