妻子が亡くなり10年が経ちました。
あけましておめでとうございます。
初めての投稿です。
妻子と死別して10年が経ちました。と言いましても子は妻のお腹にいましたので、顔さえ知りません。
僅か25ヶ月の結婚でした。
その時は神仏さえも怨みました。
私への罰なら何故私に与えないのか、
まだ生まれてさえいない子に何の罰があるのか?
その後少し見方を変え、他の人を少しでも助けることが出来れば供養になるのはと思い職を変え、被災地の障がい者や子どもの支援に没頭しました。
しかし、埋まらないものが大きすぎて特にこの時期はふとしたことで涙がこぼれます。いつまでこの埋まらないものを抱えていけばいいのだろう。
我欲なのでしょう。早く迎えに来てくれないだろうか。それともこちらから彼方へ行くことを待っているのじゃないか。
ふと自死が頭によぎります。
仏様から見れば、人の一生など刹那のことかもしれませんが、しかし人にとっては無限に等しい時間であります。
苦しみから逃げるのは悪なのですか。
自死は悪なのですか?
みなさんの視点からは仏への冒涜の言があるかもしれません。
無知ゆえとお許し下さい。
時々希死念慮が強くなる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生の軌道修正
これは実際のお話ですが、お子さんと奥さんが飲酒運転のトラックにはねられた男性がお寺に来られました。
その方は、人生を終わらせようとして富士の樹海に入りました。
すると樹海の中で同じような境遇の方に出会ったそうです。話してみると割と近所の方だったらしく年齢もお若い方だったので(# ゚Д゚)「あんたはこんなところで死ぬべきじゃない!」とその人を連れて不治の樹海から引きずり出して、お互い人生をやり直したそうです。
なんと不可思議な出来事でしょうか。
自殺しようとした人が自殺しようとされている方を救ったのです。
自分も死ぬはずだったのに、それすら忘れてその見知らぬ人の人生の為に貢献したのです。
その方は次のように語っておられました。
「妻も子供も帰らぬ人となりましたが、日本全体として二度とそういう悲しいことが起こらないように大きく取り上げられて、多くの人たちに影響を与える出来事となった。」と仰っておられました。なんと痛ましい出来事であり、なんと強い精神であり、なんと不可思議な働きかけを生み出した出来事でしょうか。
「私(わたくし)」という個人の気持ち・心情を超えて、無私無名の命すら捨てようとした人間が全く見ず知らずの人間を助けることになりました。
その方は、その後しばらくお見えにはなりませんが、その人の人生は確実に全く見ず知らずの他人の人生を大きく突き動かし、死から生へと転じたのです。
人の命は無限の力を持っています。
あなたの生命は多くの人を救う力を持っているのです。
人の死はその人の死としてそこで生きた命の働きとしては終わってしまうものです。
ですが、彼を突き動かしたのは、その自分の妻子を亡くした経験があったからこそ、それが縁となって「あなたはそんな程度のことで自分の命を軽んじてはいけない」と見知らぬ人の命を救ったのです。その時、彼の中に現われた力にわたしは人間の力の底知れぬ無限性を感じます。そして、私もそういえばかつて死にたかった人間ですが、見知らぬあなたに働きかけているのです。人間は人間に影響力という作用を繰り返して変化していきます。
あなたの奥様とお子さまと、彼の奥様とお子さまと彼自身とがあなたに生きるヒントとなる影響力となりますよう、自分を奮い起こすように自分を強く、明るい世界へとお導きください。
御命日なんですね。悔やむ気持ちや、会いたい想いが募りますね。
そうですか。。。10年。。。
この間、あなたは悲しみ悩み続けながらの人生だったのですね。
よく、時間が癒し解決すると言うけれど、なかなか、そんなことはありませんよね。
時間が止まったようで、あの頃に戻れるなら、何で死んでしまったのか。
悔やむ気持ちや、会いたい想いが募るばかりでしょうね。
御命日は、一生忘れない。
それだけ、大事な人なんですもの。今も。
だから、こんなに苦しいのよね。
生きるのが辛い。
いっそのこと、死んでしまえたら。
2人に会える。会いたい。
そう思うんですよね。
10年。月日は経っても、何も変わらないまま。
思い出しては、涙する日々なのでしょうねぇ。
辛いですよねぇ。。。
この時期が、御命日なのですね。
あなたが、こうして、お気持ちを話してくださったから、私も あなたの大事な妻と お子さんに出遇えました。
お2人が 確かに生きたこと。
あなたの中で生き続けていること。
私も、お2人の存在、その尊い命に、手を合わせますね。そして、私も忘れません。
日頃、希死念慮の方の心のサポートをしています。
生きづらさを感じ、もう死んでしまいたいと思うことは、辛い経験や 悲しい別れがあれば、誰だって感じることです。
どうか我慢しないで。
そんなときは、一緒に話しましょう。
メールでも構いませんから。
あなたの想いを聞かせてくださいね。
一緒に、偲び、手を合わせていきましょう。
その側に、浄土の仏様(阿弥陀さま)も、居て下さいます。
必ず、また会える日がくるよと。
それまで、決して、あなたを1人にはしないよと。
願ってくださっています。
質問者からのお礼
お忙しい中、貴重なお言葉ありがとうございます。
齢50、誰憚る事もない独り身の身ではありますが風呂場で号泣しておりました。
一時はどうしようもない悔しさから、神仏に怨嗟の言葉をとめどなく吐き続けた身には今更ムシの良いことよと、思わぬでもありませんでしたが、思わぬお言葉をいただき目が冷や汗をかいたのしょうか。