場面緘黙症がつらい
5歳の頃から場面緘黙症です。原因は不明で症状も様々ですが、私の場合、家族以外の他人と全くしゃべることができません。
現在は認知度が上がってきていますが、私が子どもの頃は全く周囲からの理解がなく、親からも教師からもただただしゃべれないことを責められるだけでした。大人しいだけで周囲に迷惑をかけていないので、深刻に思われず、基本的に放っておかれます。
ストレスと不安で何度も自殺未遂をしましたが、周囲からは「しゃべれ。甘えるな」と言われるだけでした。人間なんて大嫌いです。しゃべれることが当たり前と考え、できないことを強要することがどれだけ残酷なのかわかっていません。
現在でもまだまだ充分な理解があるわけでもなく、障害者手帳もおりません。15歳くらいまでに治らないと完治も難しいと聞きました。この先、希望もなくどうやって生きていけばいいのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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音声だけが全てじゃないよね。
こんにちは。亀山純史と申します。
私は現在、場面緘黙症の女の子と係わりを持っています。その子は少し時間を与えてあげれば声に出して話すことが出来ます。彼女の周りの友達も、彼女のことを理解してあげているようですが、あなたがおっしゃる通り、まだまだ十分な理解があるとは言えない状況だと思います。もっと社会全体がそのような人たちもいることを認識してもらえれば、と思いますね。たとえば、音声にしなくても、指差しで自分の意思を伝えることが出来る環境とかの整備が必要なのでしょう。
ところで、音声だけが自分を表現できる手段ではないわけですよね。芸術や文学の世界を見れば、それは一目瞭然です。絵画、音楽(楽器演奏)、写真、書道、小説、詩歌など、多くの人がこれらの世界で、自己を表現しています。mtwmさんも、何かそのような自己表現できる分野が見つかるといいですね。そうすれば、「人生、そんなに捨てたもんじゃない。」と思える日が来るのではないでしょうか。
以上が私からの回答です。少しでも明るく笑顔でいられる時間があればいいですね!
医師の診断が重要
第三者に理解してもらうたには、医師による診断が重要だと思います。
ただ、野生動物だったら障害とか病気とか関係なく、能力と運がなければ生きていけません。
大変なご苦労はあると思いますが、人間社会に生きられる幸せについても注目していただきたいです。
初めて知りました。
場面緘黙症・・すみません・・初めて知りました。
ご本人ではどうにもできないことの中で、長年、つらい思いをなさってこられたのだと存じます。
周りの理解、配慮が必要であることだと存じます。少しでもこのような場でも声を上げて頂けることで、拙生のように知り得る人が出てくるかと存じます。ありがとうございます。
是非、これからも無理のない範囲にてSNS等にて発信頂けましたらと存じます。
幸いにも、ネットやAIが普及してくることで、少しでも機械を通してであれば対話がしやすくなってくることもあるか思います。
また、その場での対面は難しくても、ラインやメッセンジャーなどのチャット機能を使ったりしてのコミュニケーションがとれることもあるかと存じます。
事情を理解、配慮してもらってのコミュニケーションの機会を少しずつ増やされていくことも。
また、どうぞhasunohaでも色々とお話しくださいませ。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
こんな情けない質問にお優しくご回答くださり、ありがとうございました。もう少し前向きに考えてみます。