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祖父の死

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つい、数日前、お正月休みで帰省して
祖父母の家に顔を見せに行って、また来るねって言ったのが
祖父との最後になってしましました。。。

また会えると思っていたのに
かなわないなんて
人間、本当にどうにもならない、抗えないことってあるんだなと
悲しくてどうにもなりません

修士論文の提出を控えている中での出来事なので
本当に気持ちがぐちゃぐちゃで

いまこそ乗り越えなきゃ、ふんばらなきゃいけない時なのですが

とてもしんどいです、いきばがなくて


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい別れだからこそ、辛い別れだからこそ

 悲しい別れだからこそ、辛い別れだからこそ、ゆんさんがどう生きることが「お祖父さまにとっての喜び」となるか考えてみましょう。そして、行動してみましょう。

 ゆんさんが大学院に合格し得研究に励んでいることを、喜んでくださっていたと思います。修論の提出まであと少しだと思います。ゆんさん御自身のためにも、お祖父さんのためにも、修論の仕上げ、頑張ってください。

 この先、生きている限り、辛い別れ悲しい別れは必ずやってきます。それはこの世に生まれてきたときから、決まっています。当たり前のことです。当たり前のことですけど、辛いです。悲しいです。辛いけど、悲しいけど、受け入れるしかありません。乗り越えていくしかありません。大切な方々と良い時間を共に過ごし、良い思い出を残し、これからの人生の糧としていきましょう。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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悲しみは尽きねども

拝読させて頂きました。突然お祖父様がお亡くなりになられてあなたはとてもショックを受けていらっしゃることでしょう、そして悲しみや後悔にさいなまれていらっしゃることでしょう。あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
人の生命とは儚いものです。どんなに生きられると思ってもそれには必ず限りがありますし、様々な巡り合わせの中で私達の生命は与えられたものです。
ですからその生命がいつ終わるはわからないですが必ず訪れるものです。
そのことをお祖父様はあなたやご家族の皆さんに教えてくださったのです。
あなたが最後に会いに行かれたことは本当に有難いことですよね。きっとお祖父様は心から喜ばれたことだったでしょう。
あなたがこれからもお祖父様を思い真心込めてご供養なさるのをお祖父様は本当に喜び受け止めて下さいます。
あなたとお祖父様とのご縁はこれからもずっと続きますし、これからもそのご縁は深まっていくのですからね。

いついかなる時でもどこにいてもお祖父様はあなたやご家族の皆さんを片時も忘れず片時も離れずに優しく見守っていて下さいますからね。

あなたにとってお祖父様は最強の味方ですからね。

悲しみやさみしさや後悔のお気持ちは消えないでしょうけれども、その思いをそのままお祖父様に手を合わせて心からお伝えなさって下さい。

いつでもお祖父様はあなたのお気持ちをありのままに受け止めて下さいますからね。

あなたがこれからもお祖父様に守られながらこれからの未来を皆さんと一緒に心から豊かに幸せに生き抜いて下さるようにと切に仏様やお祖父様にお祈りさせて頂きます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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今を生きて!

初めまして。向月慈隆と申します。
私達僧侶は、立場上、多くの方の人生の最後を見送ります。
お葬式を執り行い、ご家族とお話しをします。
ご会葬に来られた方からは「突然の訃報でビックリした」とよく言われます。

なぜビックリするのでしょう?

「生きていることが当たり前」と思われているからビックリするではないでしょうか?

本当は「いつその時が来るか分からない」と頭では分かっていても実感がない。
実感が有るのは「今、まだ生きている」ということだと思います。
それならば、今を生きるしかないのではないでしょうか?
何もしなくても、いつかその時は来ます。
今できることは「今できることをする(今を生きる)」ことしかないと思います。
御爺様が身をもって貴方に教えを説かれているのではないでしょうか。
「いつかその時は来る。だから今を精一杯生きてほしい」と言われているように感じます。

修士論文は大変ですよね。私も経験しました。
毎日、胃の痛くなる思い出パソコンに向かっていたことを思い出します。
そんな中、お爺様の他界で落ち着かなくなるのもよく分かります。
上の吉田様も書かれているように、今やるべき事を頑張ることがお爺様への
良いご供養になるのでは内でしょうか。

今を精一杯生きてください。応援しています。

向月慈隆 九拝

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おきもち

質問者からのお礼

ご回答いただきました、お坊のみなさま。
まとめてのお礼となってしまい申し訳ありません。
天候にも恵まれまして、無事に葬儀を滞りなく終えました。

お正月会ったのに急に亡くなったので、本当にショックでただただ悲しくてたまりません。
しばらくは癒えないでしょう。
ですが、みなさまにいただきましたお言葉を胸に
徐々に前を見て、今を大切に生きていこうと思います。
そして、いい姿を見せられるよう努力します。

この度は、本当に皆様のお言葉に救われました
ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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