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新興宗教について

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新興宗教を信仰している彼とお付き合いをし、別れました。

彼は一家で新興宗教を信仰していおり、彼自身は二世です。ただし彼は他の宗教信者や無宗教の者にも寛容です。彼は教えに忠実だから、熱心だから、それがその人が良い人であること幸せであることの基準にはならないと考えています。人を判断するときは、何を信じているか信じていないかだけではなく、その人個人を知り判断すべきだと。
一方私は無神論者です。神も仏も信じておらず、祈った事もないです。また新興宗教への偏見もかなりありました。しかし彼の人となりと考え方を知り、徐々に偏見はなくなり、今はありません。
(彼から新興宗教を信仰している事は、付き合って数ヶ月後に知らされました)

当初は私の偏見の強さから、それが原因で喧嘩をしたりしましたが、互いの考え方を認め合って仲良くお付き合いしていました。

しかし先日、彼から結婚するなら一緒に信仰してくれる人がいい、無理なら別れて欲しいと言われました。やはり家族になるなら同じものに幸せを感じたいと、また同じ宗教を信じて仲良く活動している両親を見ていると自分もそうなりたいと思ってしまうと。わがまま言って申し訳ないと謝られもしました。
彼のこと大好きで別れたくなかったため、そこから初めて、彼の宗教と向き合いました。彼は何を信じているのか知るため、宗教のホームページや雑誌を読みました。集まりにも参加してみました。
知ろうとすればするほど、彼がどれほど信仰を大切にしているかがよくわかりました。また、私には宗教の教えを勉強することはできても、信仰心が一向に生まれないことを実感しました。信仰心のない自分が、彼を好きという理由だけで、どこまで一緒に活動できるのか自信もない。また、自分自身が過去新興宗教に偏見があったので、彼と結婚した場合、私や子供も偏見の目で見られることが容易に想像でき、それに耐えうる自信もない。そもそも両親は私以上に新興宗教に偏見があるので、結婚に反対されるのが目に見えており、それを納得させる自信もない。
彼がいかに宗教を大切にしているかを知ってしまったが故に、この生半可な気持ちで彼と結婚するのは失礼だと思い、私は別れを選びました。しかし嫌いになって別れたわけではないので、とても辛いです。今でもこの決断が正しかったのか毎日後悔ばかりです。
何かアドバイス頂きたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教は、薬にもなり、毒にもなり得るもの

ねね様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

宗教は、薬にもなり、毒にもなり得るもの。

特に毒として危険となるのが、盲目的・妄信的・無批判的な信仰・崇拝・狂信・病的執着であり、これは、「無思考」に陥らせることによる、絶対的服従化を企図している場合が往々にしてございます。

また、信仰する側も、あれこれ考えるよりも、何でも誰かにお任せする、決めてもらった方が「楽」だという、そういう短絡的な判断によることもあるでしょう。

もちろん、支配側が良心・善良的であるならば、確かにそれはそれでうまくいくこともあるのですが、問題は、支配側が悪意的となれば、一気に事態は急変してしまうというところであります。

悪意あるカルト・セクトの主な特徴は、排他主義・独善主義・自己都合主義が顕著となっていくことであります。

自分のところの教義以外は否定、批判し、そして、自分のところの教義以外では、救われないと主張していく傾向があります。

そしてやがて、恐怖と不安を煽り、搾取していくという感じとなり、結局、それに伴うトラブルばかりに巻き込まれるなどして、救われることも現実的にない場合がほとんどとなります。もちろん、信仰している当人にとっては、救われているのだと洗脳されてしまうため、救われていない実感などない場合が多々となるのですが・・

その新興宗教がどこであるのかはわかりませんが、どこか、冷静に、中立的に、第三者的にも、おかしいと思われる節が見受けられるのでしたら、辞めておかれるのが無難となりますでしょう・・

信仰というものについて、よくダライ・ラマ法王様もご法話にておっしゃられておられますが、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」として、しっかりと一つ一つの教えを批判的、合理的、論理的に検証しつつ、得心して受け入れて参りたいものとなります。

どうしても納得できないとなれば、無理に信仰することもありませんし、信仰を結婚の絶対条件としてくるのであるならば、相手方の貴女様への気遣い、配慮が全く足りないようにも思います。

お別れはやむを得ないのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

愛する人よりも宗教を優先する姿勢はおかしい

宗教や思想、主義や考え方以前にまず人間の存在が先です。
宗教の前に愛が先でしょう。
愛よりも宗教を優先するのは宗教という思想にドはまりしちゃっているのですから、あなたは愛されません。彼が愛しているのは宗教団体に所属して使命感に浸ってしまっている自分なのです。私たち仏教も宗教であると思われているところがありますが、そんな洗脳的なものは何もありません。身軽です。
宗教ってそんなにドップリなものであるのはおかしいです。
その団体が信者を盲目的にして教団の為に一生を費やさせるようなものです。
そういう危ない橋を渡ってすでに向こう側にわたってしまった人間は残念ながら手遅れでしょう。
あなたの論理力をもって彼を説得できれば変わるでしょうが、それでも彼が宗教を選ぶのであればあなたもあきらめがつくはずです。
確認されるとあきらめがつくと思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あの時の脳に戻ったら、やはり同じ判断をしたはず

まだ傷が癒えていないのですね。
後悔というのは、煩悩(悩みの種)です。
変えられない過去について悲しんだり怒ったりしても、過去は変えられないのですから、後悔は、脳内にストレスの分泌物をセルフサービスで出し続けるようなものです。
しかし、あの時の状況、あの時の知識情報、あの時の脳に戻ったとしたら、やはり同じ判断をしていたでしょう。
だから、過去についてはあきらめるしかないのです。
もちろん、未来は変えられます。
元彼に復縁をお願いすることだって、選択肢としては残っています。
でも、彼の発言を考えると、仮に結婚したら、あなたは苦労する可能性があります。
また、子供が産まれたときに、子供に新興宗教を信仰させるのかなど、葛藤も予想されます。
あなたが悩み苦しみから早く解放されますよう、陰ながら応援申し上げます。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
私自身、好きなものは好きな人と共有したいし、好きな人には私と同じくらいそれを大切にしてもらうことを求めます。それを受け入れてくれない人とは結婚しないと思います。そして彼はそれを受け入れてくれてました。
なので彼が結婚するなら同じ宗教して欲しいという気持ちはよくわかるし、何もおかしくないと思います。彼にとっての好きなものが宗教だっただけですから。
彼の宗教に対して、悪いイメージもありませんし、彼が盲信的だとも感じてません。回答を読んでも、彼はそんな人ではないよと思ってしまいます。ただそれは彼をよく知る私だからであり、はやり世間の目はこうなんだと実感できました。もし結婚したら、私や彼をよく知らない人はこう思うのだろうと。

ただあなたは愛されてないとはっきり言われると心にぐさっと突きささります。
これからもまだまだ悩み続けそうです。

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