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悟り

私くしも、仕事の事などで 自分自身の芯をしっかりもてなくて、常に気持ちがグラグラに揺らぐので
瀧行に真剣に行きたいと思ってはいるんですが
お坊様方が、行の中で 仏様の存在や何か悟られた事など ございましたら 教えて頂きたいです。瀧は心身共に清められ仏様と一体になれる様に思うので すが 、、、

お坊さん
有り難し 23
回答 2

質問投稿日: 2019年1月11日 19:10

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

法という滝を観ぜよ

サンズイに去ると記して法なり。
サンズイとは水の様子。
こじつければ過去現在未来、無量の水の流れ。
雲、雨、川、滝、霧、蒸気、海、虹、氷も命もみな水の様相。
わが身に今触れている水のカタチをしていない滝がいつでもそこに流れていることを知るべきでしょう。
それが、さっきから、今も、今後も続いていく。
ですが、過去と未来のことは体感ができない。
故に、今もこの文字という滝があることを知るべし、しるべし。
今聞こえている音という滝があることを知るべし、観ずべし、感ずべし。
今意識せずとも、この身心に入り来たっている呼吸という滝を観ずべし、感ずべし。
そこにワタクシがいない。
私という意識が伴わないままにも、それが流れ来たって去っていく。
来たるにあらず、去るにも非ず。
たった今、触れていることしかないはずです。
これから滝を浴びに行く用もないほどに人間は法の空、法の海という法水を授かっているのです。
そういう法眼を持たなければ、滝を浴びても水浴びに終わる。
そういう法眼を養わざれば坐禅しても座るだけで終わる。
念仏してもお唱えで終わる。写経しても文字の練習で終わる。
きちんと法を求める上での中身を提供してくれる指導者を求めるべきでしょう。
私も昨年、医者にかかってえらい目にあいました。
治せる知識やノウハウを知らない医者にかかっても結局治るものも治らんのです。
同じように、道を学ぶ、悟りを求めるのであれば、ちゃんと悟った坊さんの下で求めなければ絶対にカラぶります。
禅宗では飯田トウイン、井上義衍という方の流れをくむ人たちが目が開いた人たちです。
滝に打たれたければ行ってみてもイイでしょう。この冬は寒いですから、体を壊しても行かんですがね。そこで諦められなければ、上記のことも求めてみてください。

6ヶ月前

岩瀧山滝行

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙寺は、昨年に滝行を再興いたしました。
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/76729374.html

その昔、修験道の開祖、役行者が開かれた行場が山麓にございまして、滝場もその一つであったと考えられております。

長年、歴史の陰に埋もれてしまっておりましたが、ふとした縁から、昨年に再興することができました。

しかも、女人禁制の行場が多かった中、古来から、当山は、女人の参詣が許されていたと伝わります。

それはさておき、もしお近くでしたら、またお声掛け下さいましたら、是非、滝行、ご案内をさせて頂きます。最初は、やはり夏場がおススメですが。。

岩瀧山・滝行修行ご案内・往生院六萬寺
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/77069127.html

しかし、「行」というのは、すればそれだけでご利益(りやく)があるというものではなく、いかに、六波羅蜜の禅定・忍辱・精進行とできるかというところも求められるものとなります。

例えば、坐禅だけで、滝行だけで、悟りを開けるというものではなく、確かなる菩提心、智慧と慈悲と共に、止と観の実践として行うことが大切となります。

御礼の内容から・・

師は、何よりも仏法を師と成すべきと、釈尊も「法灯明」としておっしゃられています。

また、よくダライ・ラマ法王様もご法話にておっしゃられておられますが、「師の教えを、ただ尊敬だけをもって受け入れるべきではなく、金細工師が、その扱っている金が本物か偽物か、その金を焼いて、切って、磨くことをもって慎重に吟味するように、そのようにして師の教えも受け入れていくべきである」として、しっかりと一つ一つの教えを批判的、合理的、論理的に検証しつつ、得心して受け入れて参りたいものとなります。

ただ、師から教えを学ぶのではなく、師も介してながら、仏法を第一として学ぶようにして参りたいものであります。

川口英俊 合掌

6ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

お久しぶりでございます。丹下様ご回答ありがたく思います。 丹下さんの言いたい事が何となくは 感じる事が出来ました。初めは また、高度な事を書かれるので
どういう意味なんだろう?って考えて考えて

何度も読み返し そして 自分に問うて
自分の中に降りてくる 言葉そのもの全てを受けとめました。解釈があってればいいのですが、、、 後、お坊様方って 自分の師は 一人なのですか?私くしは 管長さまの弟子なのですが
私くし自身が 自分の事でとても 苦しい時に手を差し伸べてくださったのが 副住職様だったので
この方も 自分にとっては 先生になってるんです。
それって 管長様に失礼なのでしょうか?

お久しぶりでございます
お瀧ご紹介頂きありがとうございます。今は自分がまだ するべき時ではなくお寺様に尽くす時なのでしょうか? ただ川口さんはお優しいですね。ありがとうございます。ハスノハのご縁でいつか 伺ってみたいです
その際は瀧行をさせて頂けたらと思います。
優しい川口様のお心を 嬉しく思います
師は色んな意味で沢山いてもいいかとも思うのですが
人脈という事でもあると思うので
私くしにとっては 人生の先輩は 皆様 ある意味師となるかとも思うので 華厳のちしきぶねでございます

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