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一般人でも悟りを開くことがありますか?

深刻な問題ではなく気になっている程度なのですが、質問をよろしくお願い致します。

仏門に入ったり修行を積んだりしていなくても、悟りを開くことはできるのでしょうか?
私は家庭環境の事情もあり、ほぼ天涯孤独な人生を歩んでいます。
病気・事故などで死にかけたこともありますが、その都度周囲の方々に助けてもらいながら約50年生きてくることができています。
その中で一つ一つの問題を自力で解決する中でたどり着いた結論があります。
簡単に表現すると、自身を取り巻く環境はすべて自分が決定している、というようなものです。
欲求をコントロールすることで環境は変えられ、安心安楽な生活を送れると考えています。
実際に一般的には余裕は全くありませんが、平穏・安楽な毎日を送ることができています。

仏教に関する教えなどを本で読むと、私にとっては当たり前の論理が展開されており、少々物足りない感じを受けます。
もちろん書物は一般向けの表現であり、実際はもっと複雑なものだと思います。

現在の生活環境で特に問題があるわけでもなく、自身の人生を全うすべき邁進する毎日ではありますが、この状態が悟りを開いた状態なのかどうかが最近気になっております。

仮に悟りを開いているとしても、論理的に理解できているだけでまだまだ体調の良くないときは欲が出てきたり、咄嗟に感情が表に出そうになることもあります。
まだまだ私の世界は狭く、もっと広い世界を見れば私の論理が通用しないことも出てくるとは思いますので見聞は広げていきたいと思っています。

悟りを開きたいという願望は特には無いですが、一般個人でも悟りを開くことができるのであれば、自分の意見に自信を持って周囲の人に助言をすることができるのでないかと考えています。(もちろん自分の意見として)

これまでは、他者に不用意な発言をするのもある種の自己の欲求であることも判っておりましたし、天涯孤独という特別な環境に生活する個人の特殊な論理として自分の発言を控えていました。

しかしながら当然の帰結(私の理屈では)で悩み、怒り、ストレスを抱えている周囲の人の力になることも自身の存在理由なのかと感じることも増え、この度の問い合わせとなりました。

お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。

心構え・生きる智慧
有り難し 55
回答 5

質問投稿日: 2019年2月1日 21:01

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

悟れません。

広島県でしたら
がっしーさんの周囲は
浄土真宗の寺院が多いでしょう。

浄土真宗では
「人間は煩悩を滅せない凡夫であり
 今生で悟りは得られないので
 全て阿弥陀如来にお任せして成仏させていただく」
と考えますから
一般人も僧侶も自力では悟れないのです。
阿弥陀如来のお力で救われるだけです。

それを信じることで安穏が得られる訳で、
その阿弥陀如来から頂いた安穏の気持ちを
他の方々におすそ分けすることはできます。

自分が悟っていようと悟れていなくても
周囲の力になることは出来ますよ。

2ヶ月前
回答僧

大忍貫道

悟りに至っているかどうかは…

ご質問を読ませて頂きました。
一口に仏教と言っても、八万四千の法門と言われるように様々な思想体系を備えています。その分、悟りという状態も時代やセクトによって指しているものが異なるというのが実際でしょう。初期の仏教では文献を読む限り、悟りに至るには出家が絶対条件でしたので、在家のままでは悟れません。しかし、大乗仏教では維摩経などで示されるように在家のままでも悟りに至る事が可能であると説かれています。
上記でお判り頂けるように悟りを明確に定義する事は出来ませんが、その前提の上で私見を述べます。

仏教では老病死は苦として扱われますが、四門出遊で示されるように、これらの苦からの解放が仏教の立ち向かう重要なテーマです。では、なぜ老病死が苦なのかと言うと、他でもない自分に訪れるからです。ここで言う自分とは自意識、いわゆる「我」です。我が強ければ、それに比例して老病死苦は耐え難く、反対に我のない人は軽やかに人生を終えるでしょう。そのため、我を慎ましくするべく瞑想を行います。

だから、悟りに至っているかどうかは「我・私心」の有無によって分かれるように思います。

私自身は悟りに至っていない明確な自覚があり、あなたが悟りに至っているかは私には分かりませんが、誰かを助けるのに必要なのは悟りの自覚ではなくて、共感ではないでしょうか。私が本当に辛かったときに、一番助けになったのか達観した論理的なアドバイスではなく、一緒に泣いてくれた人の存在でした。あなたに共感があるのであれば、悟りに関係なく、手を差し伸べて頂ければと思います。

※悟りについては魚川祐司氏の「仏教思想のゼロポイント」が参考になると思います。

2ヶ月前

できます。

がっしーさん、こんにちは。

仏道修行をしなくても、悟りがえられるかどうかということですね。
もちろん、仏道修行をしていなくとも、仏道修行に値する人生を歩んでいれば覚れます。坊さんでなくても覚れます。覚りは坊さんの専売特許ではありません。すべての人に覚りはあるのです。高僧といわれる僧侶であっても堕落している坊さんを少なからず見てきました。反面、僧侶や高学歴でない人でも、多くの生命を救い人々を幸せに導いている人はたくさんいます。覚りの内容の受け止め方は人それぞれですが、少なくとも人の幸せを喜びに感じ努力を惜しまず導く人は大きな覚りを持った人でしょう。覚りは特殊な力、超能力ではないのです。生きる実感だと私は思っています。合掌

2ヶ月前

悟っています。

悟るとはなんでしょうか?
大きな安心を得ること、
心にわだかまるがないこと、
澄み切った青空のような気持ち、
人によって違いうようで、違わないような、
求めても得られるものではなく、
求めれば求めるほど
遠ざかるように思えます。

佛是幻化身 祖是老比丘  仏はこれ幻化の身 祖はこれ老比丘
儞若求佛 卽被佛魔攝   仏を求めれば すなわち仏魔に攝せられん
儞若求祖 卽被祖魔縛   祖を求めれば 祖魔に縛せられん
儞若有求皆苦 不如無事  若し求めることあらば皆苦なり 如かず無事ならんには

淡々と生きられたらよろしいかと。

ただ、一つ異論があります。
身近らが選択した人生ではありますが、
生かされた人生、
給わりたる人生、
と考える報恩感謝の気持ちが湧いてきて、
よろあなたの人生を豊かにするのではないかと、
愚拙は思います。

南無阿弥陀仏

2ヶ月前

「菩提道次第」

がっしー様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

真に悟りを開けば、迷い苦しみは完全に滅するため、その境地が悟りかどうかなどについても迷うことなく、ここにご質問頂くことももちろんないことになるでしょう。。

とにかく、悟りへと至るためには、確かなる仏道により、無明(根本的な無知)と煩悩を対治し、業を清らかに調えていくことが必要となって参ります。

特に、悟りの妨げとなってしまっている煩悩障と所知障を、仏道修行における智慧と福徳の力で対治することが求められるところとなります。

ではいかにして私たちは悟りへの道を歩むべきであるのか、それが詳しく述べられてあるのが、10~11世紀に活躍されましたインド・ヴィクラマシーラ大僧院の僧院長であったアティシャ大師による「菩提道灯論」からの流れを受け継ぎ、14~15世紀のチベットにおいて活躍されましたツォンカパ大師により著されました「菩提道次第論」、「菩提道次第広論」であります。

上記の著書は全て和訳も刊行されておりますので、是非、まだでございましたら読解に取り組んで頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

2ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

皆様、お忙しい中ご回答をありがとうございました。
大変勉強になり、自身の感覚が悟りなのか?という疑問に対しては十分に納得ができました。

まずは宗派により悟りの概念が多少異なるとのことで、自力では悟れない解釈もあり「悟り」という言葉の意味の広さを感じることができ軽率には使うことができない言葉であることを認識いたしました。

それから、日々生かされた人生を生きている実感はあります。
病後に「はい」の一つ返事だけで過ごした時期が何年かありました。
受け入れてもらえていることからはじまり、自身の知恵や工夫を最大限使うことで自身の能力の向上を図ることもでき、周囲の方々には感謝しております。
さらには発言側の意図や、自身の受け取り方から欲を部分を排除することで、善意や悪意も見えるので実にシンプルにやり取りをすることができるようになりました。
心理学に基づく「欲求」を理解することで、多くの一般的には誤解を招きやすい発言もストレスなくくみ取ることもできていると思います。

書物の紹介もありがとうございました。
但し、悟りを開きたい願望は余りないので、また自身の全ての論理が繋がる感じというか、全てを受け入れられる(自らの死も)安心感というか、よく判らない感覚が一部の悟りと言われるものなのか疑問に思う時にはまた読んでみたいと思います。

他者への助言などについては、やはり病後に自身の存在を無くすというか、自身が周囲に影響しない存在となる(自己の死後を仮定して)ために一般論のみ発言して、自身の意見は内に秘めてきた経緯があるためなかなか直ぐには変えることはできないとは思いますが、それも役目として受け入れて取り組んでいきたいと思います。

文面では感謝の念を表現してお伝えするのが難しいのですが、とても感謝しております。
ありがとうございました。

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