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法要について御教授願います。

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先日、お寺様より暦と今年の法要の案内が届きました。
去年、母の一回忌法要をしましたが、今年が三回忌法要との案内が記してあり戸惑っております。
今年が母の三回忌ならば、去年は、一年先に亡くなった祖母の三回忌だったのではないかと?
こういった場合、祖母の三回忌を一年遅れですが母の三回忌法要と共に行ってもいいのでしょうか?
また、祖父の二十三回忌にもあたる年のようで、今までは十七回忌法要までしか行ってこなかったので一般的にはやるものなのかと疑問が生じています。
やはり、以前からの叔母との確執はそのままで誰にも聞けずに居ります。
こちらで質問させていただくのも、お忙しい中申し訳ないのですが教えていただきたいです。

また、以前ご回答くださった僧侶様へお礼がしたく、ご報告も兼ねての投稿となります。
去年の夏、どうにもこうにも身体がもう言うことを聞かなくなり、塞ぎ込む生活が続いていましたが、一人の男性と知り合いました。
病気であること、障がい者であること、全てを受け入れてくれて、家族のような愛情を注いでもらっています。
今は大半をその人の家で過ごしております。
精神的なストレスや緊張感から解き放たれたおかげか、記憶を失うことは無くなりました。
自分でも不思議なのですが、あんなに動けなかったのに少しなら家事も出来るようになり、調子が良い時は夕飯とお弁当を作ったりしています。
ダメな時は素直にダメと伝え、家事をお願いすることも多々ありますが、色んな物を食べ、色んな景色を見て刺激を受けています。
今年初めには隣県ですが一泊旅行に行ってきました。
病気になる前は仕事仕事と忙しなく働いていたので数十年ぶりです。
体調を崩すことも無く、無事に楽しい思いだけで帰ってこれたことが自信に繋がり、人生もっと楽しまなくちゃ!という思いが芽生え、病気だから何も出来ない。障がい者だから大人しくしていなきゃいけない。という自己否定のような感情は無くなりました。
今では何でもやってみたく、上手く行けば儲けもん!上手く行かなければ次の課題に!とポジティブな考え方をするように頑張っています。
一番辛い時にこちらでご回答くださった僧侶様へ報告がしたく文字を打っています。
病気は治らないけれど、とても幸せです!
今を精一杯生き抜きます。
報告も兼ねての投稿でした。
ありがとうございました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

各家の習慣やお寺にもよると思いますが、私としては一年遅れでもいいし、祖父の二十三回忌を一緒に供養してもいいと思いますよ。
何回忌までしなければならないということでは無く、供養を通して親族と共に年に一度お亡くなりになられた家族のことを思い出すことが大切なのですからね。
もしも親族と会うのが苦痛なら集まらなくても各自で自宅で供養したらいいと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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法要の意義から考えてみたいと思います。

こんばんは。亀山純史と申します。
私も檀家(門徒)の方から、法要についてのご相談を受けることがありますので、私の宗派(浄土真宗)の考えを基本としての私見にはなりますが、回答させていただきます。

年忌法要の意義は宗派によって異なるとは思いますが、法要は故人のためではなく、故人の死を通して、今ここに生きている私たちのために行うものと考えています。したがって、法要を忘れていたとしても、思い出したときに執り行おうとする心掛けが大切でしょう。

一周忌と三回忌は、基本的には、それぞれ単独で行うことが望ましいと思っています。一周忌または三回忌は、故人が亡くなられてから一・二年しか経っておらず、私たちの故人に対する悲しみもまだ癒されぬ状態でしょう。そうであれば、故人それぞれに法要を執り行うことが望ましいかと思います。実際に、三回忌までは参列者が多い、ということはよくあります。(もっとも最近は、家族葬が多いですから、一周忌、三回忌でもご家族のみ、という場合も多くありますね。)しかし、故人がご夫婦や親子であった場合には、ご遺族の希望で、合同の一周忌や三回忌の法要を執り行ったこともあります。

なお、一般的にこれらの法要は、祥月命日(しょうつきめいにち:故人が死んだ月日と同じ月日)の前に執り行う、とされています。しかしこれも、ご遺族のご都合や法要への参列をお願いしている方々のご都合で、祥月命日後に行ったこともあります。(たとえば、参列される方々がご高齢の方が多く、気候が暖かくなってから執り行ったことがあります。)

いずれにせよ、これらの法要は故人を偲び、故人の死を通して私たちが仏法に触れていく場であるのです。ですから、「何回忌までするか」ということに関しては、「これでおしまい。あとはやらない。」という発想ではなく、可能な限り、故人を偲び仏法に触れる機会を持っていただければと思っています。

以上が私からの回答になります。ご参考になさっていただければ幸いです。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

三宅様、亀山様、ご教授頂きありがとうございます。
体調が優れずお礼が遅くなり申し訳ありません。

補足ですが、私には家族はおりません。
遺された遺族は私のみとなります。
祖父が亡くなった時は私はまだ若く、母もリストラに合い、収入を得る人間は私のみだった為に仏事事は顔を出す程度で家族に任せて仕事仕事と生きてきました。
もっときちんと教えてもらっていれば…と後悔しても遅いのですが今更ながら思います。
そして、お寺様なのですが、ご住職様が倒れられリハビリ中でして、奥様が一人で仏事事のご案内やお寺を守っておられます。
周忌の数え方も変わられたようで、私も分からず、お寺様の奥様も忘れられていたとのことで、お電話でお話し今回の法要で祖母の三回忌法要も行うこととなりました。
祖父の二十三回忌法要ですが、祖父には申し訳ないですが、自宅にていつものように手を合わせるのみとしました。

本来であれば、祖父母の娘にあたる叔母も一緒に…というのが普通なのでしょうが、母の一回忌の時も私達(叔母夫婦)は行かない。私は嫁に出た身だから関係ない。とハッキリ言われ、それからも知らぬ存ぜぬで連絡も来ませんし取っていませんので、わざわざ連絡して私自身がストレスで体調を悪くするよりも、割り切って私一人で法要を行うことにしました。
これもお寺様と話し合い理解をしていただきました。
祥月命日のお話をお教え頂いたのですが、お寺が遠方であり、現在お付き合いしている方のお仕事に合わせて休みを取ってもらって連れて行ってもらう為にきちんとした形で行うことは出来ませんが、お墓に行き手を合わせるだけでも供養になると思い、まだ日程は決まっていませんが話をしております。

まだまだ分からないことばかりですが、少しずつ勉強し、これからも故人への感謝を忘れずに過ごしたいと思っております。

余談ですが、私はお経が好きです。
聴いているととても心が落ち着き、母の一回忌法要の際にはお寺様の奥様に話をしましたら経典をいただきました。
とても大切にしています。
意味や読み方を調べ、今では経典が無くても唱えられるようになりました。
毎朝、小さいですが仏壇に手を合わせてお経を唱えることから私の一日が始まります。
今日も清々しい気持ちで一日を頑張ります。

お礼が遅くなりましたがお教え頂きありがとうございました。

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

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亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

有り難し有り難し 4
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僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

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亡くなった母についての質問です

いつも参考になる回答ありがとうございます。 母が亡くなってから、明日で四十九日となります。四十九日に関して気になったことを質問をさせていただきます。 五七日の翌日、祖母の下へ母が来たそうなのですが、その時母が「私何か悪い事したかな」と言っていたそうです。 調べてみたところ、五七日は生まれ変わり先が決まる日だと書いてあったので、自分は勝手に「生まれ変わり先が、母にとって良くない結果だったのかな」と考えてしまいました。 お坊様は母の発言についてどのように考えますか? また、四十九日までは、母が見守っているのだと思って過ごしていたので気持ちが少し落ち着いていたのですが、四十九日経つと母の魂があの世へ旅立ってしまうということを知り、不安になってしまいました。 「すぐに生まれ変わるのか」「見守っているのか」「修行などをして過ごしているのか」など、様々なことを考えてしまいます。(そもそも四十九日や、その日までの解釈が間違っているかもしれないですが) 旅立ったあとは、何をしているのでしょうか? 色々と考えてしまいすぎて、あまり良くないと思いますが、気になってしまいます。答えられる範囲でいいので、回答いただけると幸いです。 拙い文章で長々と申し訳ございません。

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父の三回忌を教会でしたいと義姉が言います

質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ