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死について

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高齢者の安楽死についてご意見をお願い致します。90歳になる身内の者が倒れ入院となった際、医師に言われました。平均寿命を超えているからもういいのではと。つまり、延命治療をせずに逝かせるということです。家族は反対し、できうる限りのことをしてほしいと願いましたが、いざ胃瘻をどうするかの際に、この医師は容態について虚偽の説明までして胃瘻を阻止しようとしました。

高齢者の医療負担が大きな問題となっていますが、この医師も口から食べられなくなったら寿命とは言うものの、だからといって家のように栄養を少しずつ減らして二三ヶ月で逝かせましょうだなどと私はどうしても疑問を拭うことが出来ません。

医師が捉える死と御坊様が捉える死とは違うとは思いますが、命を救うのが医療であって、そこに延命も何も無いのではと私は思ったりもするのです。蝋燭は燃え尽きてこそ終わりです。口から食べられない、平均寿命を超えていることから死に至らしめようと安易に考える医師に私は命に対する驕り高ぶりと恐ろしさを感じます。たとえ口から食べられずとも、今その目の前に尽きていない命があるのですから。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

医師への信頼感

トオルさま。なごみ庵の浦上哲也と申します。

90歳のお身内の方が入院をされたのですね。
質問文を読んで感じたのは、トオルさんが担当の医療者に対して信頼感を持てないのが、大きな要因なのではないか、ということです。

私もそこに居たわけではないのでトオルさんからのお話だけですが、「平均寿命を超えてるからいいのでは」「口から食べられなくなったら寿命」「二三ヶ月で逝かせましょう」というドライな言葉に、ご家族もトオルさんも傷つき、憤慨されているのではないでしょうか。

もし長い付き合いのある信頼している医師で、「○○さん、今までよく頑張ってこられましたね。皆さん、お疲れさまでしたと言って、お送りしてあげてはいかがでしょう。」と言うのであれば、また受け止め方も違うのではないでしょうか。

仰る通り、医師と僧侶の死に対する捉え方は違います。でも私はその医師は、僧侶と近い感覚をお持ちのように思いました。

医師は、死を否定します。それはもともと、医療が死を否定するからです。病気もケガも治して元気になりましょうね、というのが本来の医療のあり方だと思います。
しかし僧侶は、「どんなに医療が発達しようが、生命は必ず終わりを迎える。いかに死を迎えるか、それがひいては生を輝かせるのだ」というような考え方をする方が多いと思います。

トオルさんの仰るように、その医師が「平均寿命を過ぎてるからいいんじゃないですか」という安易な考えであれば、それはあまりにも患者や家族の気持ちを無視していると思います。
しかし、「何歳であろうが胃瘻や様々なチューブを繋げ、何が何でも延命をする」という方が、命に対す驕り高ぶりではないかと、私は感じます。

何にせよその90歳の方は、トオルさんやそのご家族に大切に思われていて幸せな方だな、と思います。その方が今後どうなっていくのが本人にとって幸せなことなのか、ご家族と冷静によく話し合ってお決め下さい。一度胃瘻や人口呼吸器を使えば、途中で止めることは出来ないのですから。

<追記>
お礼を拝見し、私など遠く及ばないほどトオルさんが深く考えておられることに気づけず、申し訳ない気持ちになりました。
私もトオルさんご一家も、90歳の方から多くを教えられているのだと思います。よく亡くなった方を仏と言いますが、その方はすでに仏として私たちを教え導いて下さっていると感じました。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

無理に生かすことが本人の幸せかどうか

命を救うのが医療ですが命を長らえるのは違うと思います。
よろしければこちらをご覧ください。
http://news.livedoor.com/article/detail/6538475/
老人ホームの常勤医を務め数百例の自然死のお年寄りを見送ってきた方のお話です。
人間は必ず死にます。でもそれを長らえようとするのは、まわりの人がその人の死とお別れを受け入れたくないからではないでしょうか。

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一般家庭に育ち会社勤めをしていましたが28歳の時に得度。2年間の研修を終え...

悔いの残らないよう、できる限りのことを

たとえロウや芯が尽きても、足してサポートしてあげればまだ灯り続ける命の火なら、私は消しません。
生きる可能性のあるいのちに対して、できることを精一杯してあげたい。そう考えるのは、家族なら当たり前のことです。
「生かすべき命」と「そうしない命」の線引きは、年齢や病状で測るものではないと考えます。

本人や周りがどんなに「生きたい、生かしたい」と頑張っても、いずれ必ず人のいのちは尽きます。そのときが本当の寿命と、私は思います。死を受け入れるのは、そのときでよいのではないでしょうか。

どうか悔いの残らないようになさってください。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

いのちは本当は誰のものか

この問題には道元禅師が一つのヒントを出されています。
正法眼蔵 生死の巻に
「この生死は、即ち仏の御いのち也。
 これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。
 これにとどまりて生死に著すれば、これも仏のいのちをうしなふ也」
(意訳)
私たちの個々の命の生き死には、自分の命ではあるものの「仏の御いのち」であります。
すなわち自分化、わたくし化、個人によって所有化されるべきものではなく、天地自然の大いなる命の川の流れに任されるべき、大海の一滴水である。
これを自ら嫌い、捨ててしまうことも、仏の命の営みを損ない、失う、壊す事。
また逆にこの命に執着することも、仏の命の在り方を失うものです。

よって、個人の命であっても、個人の意思によって、人為的に延ばされたり縮められたりされること自体が、仏の命という大きな流れ、公の在り方から外れされせ、私的な在り方として存在させるてしまうものであるという風にも取れます。
道元禅師は「こうしなさい」とは直接的に示されてはあいませんが、私はこの教えには、命のありようはわたくし化されるべきものではない、と、いつの世の人も持っておくべき心構え,が説かれているように感じます。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

命を救う、とは。**至上主義に「もういい」はない。

トオルさん、こんにちは。気を揉む毎日ですね。

安楽死、尊厳死について。
仏教者としては明確なスタンスを取ることはできません。
と同時に、お医者様としては明確なスタンスを取らなければならない。
お医者様と仏教者。それぞれの行き着く先はどこでしょうか?すべては“命を救う”につきると思います。
死んでのちに“命を救う”とはなにごとか、という感じかもしれませんが・・。
死後のことは分かりません。分からないこそ、分かろうとしたり、想像したり、行動できるはずです。医療者でもなんでもない私たちが出来ることでもあります。

お医者様としては治療にかかわりますから、明確なスタンスを取らねばならない。身内・ご家族としては我がごととして関わっていく覚悟を示さねばならない。
トオルさんたちとお医者様との信頼関係・すりあわせによって、かならずや道が開けることを信じます。

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

ブラックジャックの苦悩

トオル様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

愛する近しい人に対して、延命治療や安楽死・尊厳死を考えなければならない状態・・非常につらいお立場でありますことをお察し申し上げます。

延命治療の是非、安楽死や尊厳死に関することにつきましては、これまで下記の問いにも回答をさせて頂きました・・が・・拙生、いまだ明確な答えを持ち合わすことができておりませずにて大変に申し訳なく存じております・・

問い「後悔の毎日」
http://hasunoha.jp/questions/172

問い「最期に苦しむということ」
http://hasunoha.jp/questions/95

特に不殺生戒を説く仏教において、安楽死や尊厳死をどのように考えるべきであるのか・・

正しい看取りとはいったい何か・・

正しい死の迎え方とはいったい何か・・

とにかく・・死は終わりではありません。このことは、問い「死を考えてしまう」( http://hasunoha.jp/questions/318 )におきましても扱わせて頂いております。

どうか、祖父(祖母)様の心(相続)の赴きが、確かなるご仏縁を戴くことにて、お安らかでありますように、悟りへのお導きがありますようにとお念じ賜ることと併せて、問い「末期がんの父親にどう接したら良いかわからない」( http://hasunoha.jp/questions/227 )におきまして述べさせて頂いておりますように、「・・臨終に際して、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちが、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要となるのではないかと存じております。・・」、として、その時まで、どうか優しく温かい言葉を掛け続けて頂けましたらと存じております。

「医師の驕り高ぶりと恐ろしさ」・・延命治療の抱えるジレンマ・・「いのち」と常に真摯に、真剣に向き合い続けるブラックジャック先生ならばこのような場合において、どのようになさられることでしょうか・・

拙生も、一僧侶と致しまして、これからも悩み考え続けて参りたいと存じております・・

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

ご回答いただいた皆様、誠にありがとうございます。

私のご相談の仕方が要領を得ていない部分もあり、どの点をお答えになればいいのか迷われたかもしれませんね。お許し下さい。

私の家の者に限らず、人は誰でも死にます。必ずその時が来ます。何をやってもです。しかし、今さまざまな理由から安楽死の法制化などの動きが出始めています。御佛が説く死とは何なのか? この世が生きて修行をする場なら、この世で負うべき苦もまた然り。それが死への苦しみであってもです。ですが、安易に安楽死となってしまうと、その者が苦しんで終わらすべき業?というか何ものかを放棄することにはならないのか。そのような疑問を持ったのです。

また、医師は純粋に何を診るべきなのかといった疑問もありました。根本を問うているのです。人を診るのではない、その人に宿る生命と肉体を診るのではと私は思っています。人を見たつもりでいるから、平均寿命だの、どうせ数年で逝く命だから、栄養を下げてなどと言い出す。しかし、そこに至るまでも生きているのです。老若にかかわらず生命はあるのです。それは同じ重さでなければなりません。同じ治療のはずなのに高齢者となるとやれ『延命』だのと騒ぎ出す。これもおかしいのではと。命の重さに差別をしているようなものと私は思ってしまうのですね。ましてや医師が患者を死に至らしめることを誘導することはあってはならないし、それを果たすために虚偽の容態の説明をするのも言語道断です。決してミスリードはあってはならない。

家は胃瘻をしました。人には順応性があります。毎日笑顔で過ごしています。言葉を話すようにもなりました。寝たきりではあるものの、これまでよりも多く顔を合わせ、意味は通じないものの言葉を交わしています。胃瘻をしていなかったら、医師の虚偽の説明に乗っていたら、既に今は亡き者となり、このような大切な時間(お互いを大切に思える時間)を決して持つことは出来ませんでした。胃瘻をしていても、必ず逝きます。何をやってもです。

私は自分の経験から、医師が容易に人の生き死にに介入することはあってはならないと現時点では思っています。なぜなら医師も完璧ではない。一つの治療をとってもマチマチです。本来なら生きられるべき者も、下手をすれば死を迎えることになる。ましてやそこに死に至らしめるという誘導があっては決してならない。あくまでも本人の意思、あるいはそれに代わるもの。すべての決定権は診られる側にあると私は思います。延命や医療費負担といった言葉があまりにも先行し、医療の根本を見失っているのでは? 

そんな疑問から御仏の世界では死をどのように捉えているのか。安楽死によってもたらされるものが本当に寿命なのか? 他にも疑問はつきません。私は人の生き死にを救って下さるのは神佛に仕える皆様方ではと思っているのです。死ぬということは、実は死ぬことを御佛あるいは神に許されたから。そんなことを思ったりもするのです。素人考えなのでわかりませんが。私は御佛に仕える皆様方の世界においても、大いにこの命というものを、尊厳死や安楽死というものを議論していただきたいと願ってやみません。死んで良かったと思えるのは、恐らく皆様方のお力無くしてはないだろうと思えるからです。御仏の代理人とでも言いましょうか、医師のみならず、そこに皆様方のお声もあれば、私などは逝くことを許されたと感じ、安楽死というものを選択するかもしれない。

私は安楽死を全否定はしていません。ただ、相談内容に書いたような医師がいるのも事実なのです。そのような医師に人の生き死にを委ねる気にはなれないのですね。驕り高ぶりと傲慢さしか感じない。そのような者に大切な人の命を容易に終わらせてほしいとは決して思いません。生きながらえるにも意味がある。無論、本人とその家族が望んだ上でですけどね。家も今の状態になって、漸く皆その時の覚悟を持てるようになりました。逝く日を覚悟しながら、顔を合わせてはお互いに笑い感謝の日々を過ごしています。胃瘻をして良かったと思っています。

人に迷惑をかけられないからと、本心とは別に安楽死を訴える者もいます。家がそうでした。家族なら本心を汲んであげたいと思うのが当然でしょう。命を全うするとはどういうことなのでしょうか? 人の生き死にに、人の手が加わっていいものなのか。それは神仏が決めることではないのか。本当に疑問は就きないのです。

長くなってしまいました。仏教という御仏の教え、法に立つ者として、皆様方のお考えをお聞きしたかったのでございます。私の相談内容が的を射ておらず申し訳ありません。それでも皆様のご回答で私も更に考えるきっかけとなりました。

本当にありがとうございました。これからも何卒よろしくお願いいたします。

追記:上記のお礼の投稿ですが、長過ぎて改行をすると投稿ボタンが押せなくなり、仕方なく行間を詰めました。読みにくくて申し訳ありません。いくつかに分けて投稿するところまで頭が回りませんでした。

誤解のないように記しますが、一番良くないと思われる風潮が、「胃瘻=拷問」という決めつけです。本人あるいはそれに代わる意思が再優先に考えられるべきで、私はそれを勿論第一に考えていますし、そうあるべきだと思っています。が、上記に記したお礼のように、それは仏教の世界ではどうなのか。安楽死を選ぶということは自死には当たらないのかなど疑問がさまざまに湧いてくるのです。苦しんで死ぬのも負わされたものならば、それを放棄することにはならないのか。などなどですね。

ありがとうございました。m(_ _)m

追々記:

丹下 覚元さま(すみません、ご住職様とお呼びしたらいいのか他の呼び名があるのかわからないので)、まさにそのお言葉を私は得たかったのだと、拝読して思いました。私の根底にあるのもそう。人の生き死にに未熟な人間が介入する、ましてやそれを操るようなことがあっていいものか。それが根本の疑問であり、そこには覚元さまが言われるように、『御仏のお命』という思いがあったのだと思います。

医学がいくら進んでも、この命は神仏に賜ったもの。この世でしっかり修行せいよと与えられたもの。そのような考えを私はどこかに持っていたのだと思います。だからこそ、相談内容に記した医師のあり方に不審と疑問を抱いたのでしょう。

私の家は曹洞宗です。道元禅師のお言葉にそのようなものがあったのですね。勉強不足を恥じます。修証義を読まないといけないとも思っていたので、触れてみる良い機会となりました。ありがとうございます。

改めて、ご回答くださった皆様に暑く御礼申し上げます。

私のような弱き者は死に際して、やはり神仏のお導きをと願ってやみません。『天命』という言葉もありますように、やはり私は人間でありながらもこの生命は賜ったものだという感覚を抱いていきたいと思っています。そうすることが生命への畏れでもあるからです。そして、皆様がお示しくださったこと、執着してはすべてを損なってしまうということ。その通りだと得心いたしております。その見極めを個々に見抜いていかないといけませんね。それは自分にも自分以外の者にも無理があってはならない。

私はね、何をやっても逝く人は逝くと思うのです。何事にも普く神仏のご意思が働いているのだと思っているからでしょうね。でも、そこに執着が生じてはいけない。その執着と神仏のご意思を混同してはいけない。

これからも残された日々を大切に、また施設に足を運び感謝の日々を送りたいと思います。

皆様、本当にありがとうございました。

「死について」問答一覧

生の強制を信奉できない

以前自殺願望について何度も相談させて頂いたものです。何度もお手数をお掛けして申し訳ありませんが、またご相談の程宜しくお願いいたします。 私は、皆さんとの対話の末に何とか生きる目的を導き、少しずつ自らの存在と自身が存在する世界を祝福できるようになりました。ですが、自身の中で解決していない問題があります。 生の強制と自殺についてです。 私が知る限りでは、仏教は生と死という対立概念について中立の立場を取っています。生きようが死のうが問題ないような心構えを説かれているように思えるのです。私はこの考え方に大いに賛同しているのですが、その立場故に生存を無条件に強制する人たちに対して今でも強い忌避感を覚えてしまうことに悩んでいます。 私は、ハスノハ以外でも両親や友人、教授に自殺願望の悩みを打ち明けたのですが、その誰もに私に対して「死ぬな」という事を前提に説得されました。 私が、生活に不満はないがやることがなくなり、これ以上生命に執着したくないという事を打ち明けたとしても、その発想自体を幻想と一蹴され頑なに生を強制されました。 説得者の言葉からは、現実の私ではなく、説得者のイメージとしての私や、先程述べた死生観を見ているような見当違いを感じ、それ以来人を信頼できなくなっています。 断っておきますが、この方々が悪い人間とは思っていません。むしろ、自己の想像の範疇で私を助けようとしてくれる善人だと思います。しかし、それ故に彼らが生きるという事を無自覚に狂信している事実に深い断絶を感じます。この世のどんな渓谷よりも深い絶望的な断絶の向こう側に、ひとりぼっちで取り残されたような感じです。 私は、彼らのように生を肯定すること自体は問題ないと思っているのですが、生に取り憑かれ、挙句他者にそれを強制する傲慢さを拒絶せずにはいられません。 生きたいと決心した人が快く生き、死にたいと決心した人が悔いなく死ねる。そんな世のあり方を私は望んでいますが、この考え方に取り憑かれた私もまた傲慢なのでしょうか。 そもそも、仏教の教えを信じる時点で私は傲慢だったのでしょうか。

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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

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『死んだ方がマシ』を駆使する実母

この度はお世話になります。 9年近く勤務していた会社に整理解雇されました。無職では東京で一人暮らしを続ける事が困難だった為に実家に身を寄せました。同居人は実母のみですが呼吸器を患っており平坦な場所を歩くのも全力疾走している様な感覚だと言いますが決してその様には見えません。その実母が私に対して不満がある際に使うパワーワード『死んだ方がマシ』に苦しめられています。 年金生活者の実母に頼る事は不可能なので最悪でも失業給付金受給期間内に転職先を決めなければと思い転職サイトやオンライン面接で就職活動をしています。 全く暇では無いのですが、実母には理解できない様で嫌味を言われる事も多々あります。 約7年間お互いに自己裁量権のある生活していた為なのだと思いますが、私がいる事がストレスで寿命を縮めていると言われました。それなら私にとっても実母がストレスですが実母からは私が好き勝手している様に見えるそうです。希望や不満があっても察してくれる事を望んでいる様ですが、私は普通の人間で神様でも仏様でも無いのでそれに応える事は不可能です。私に察して貰えず不満が爆発し口論になるという負のループが続いています。 口論になると決まって実母が持ち出すパワーワードに『死んだ方がマシ』があります。私が自分の思い通りに動かない事に腹を立て『死ぬ』という言葉を連呼し服従を求めてきます。死という言葉を使うのは卑怯だという事を理解させる為に私が死ぬから好きにしたらいいと言ってみましたが気付かなかったのか否か分からないまま話をすり替えられて無視されました。 病気を盾にモラルハラスメントを受ける毎日に疲弊しています。私も一人の人間で実母とは別人格で実母の奴隷でありません。これ以上、服従を強いられる生活を続ける先にあるのは精神崩壊だと感じています。 パワハラは一般的になりましたが弱者から受けるハラスメントも存在すると感じます。転居したくても定職が無い今は蓄えがあったとしても貸してくれる業者がありません。実母のモラハラから逃れたい。自己裁量権を奪われた生活を続けていく事は死ぬよりも辛い事だと痛感しています。会社に不信感があり解雇される数ヶ月前から転職活動を始めており、解雇も前向きに捉えていましたが実母との関係は苦痛でしかありません。我慢する以外に方法は無いのでしょうか?我慢するくらいなら死んだ方がマシです。

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自分の命の捉え方

自分の命の捉え方についてご相談させてください。 私は命は尊く、儚く、大切にしなければならないものと理解しているつもりです。 しかし、今までの人生を振り返ると、それは自分にだけ当てはまっていないのではないかという気がしてきました。 簡単に申しますと、死にたいほど辛いことはありますが、自らを殺す行為はするつもりがありません。 しかし、私は過去に事件や事故に遭遇し「死ぬな」と思った時に、抵抗することをしなかったのです。 生きる理由としては、親より先に死んではいけないと思いますし、子どもが自立するまでは生きて育てる義務があるからです。 しかし、私はまた死に直面したり、頭ではなく心のままに生きれば、簡単に自分の命を手放してしまうのではないかと不安になることがあります。 生きることに執着していない、がしっくりくるかもしれません。 学生時代に自殺した、親しい友人がおります。 その時に残された者の辛さも知りました。悩みも聞いていたのにそれでも死を選ばせてしまった、自分の無力さも知りました。命の尊さも痛いほど感じました。 経験したからこそ、私は人にこんなに辛い思いもさせたくありません。 それなのに、こんな感覚をもつ自分が情けなく思えてきます。 どんなに辛いことがあっても、休むことなく毎日やりきっているので、「毎日死ぬ気で生きている」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、、、 先に申し上げた通り、母親としての責任もある中、簡単に命を手放す人間であってはならないと思っています。 辛い日は、心のままに動かないように飲酒を断ったり、今の気持ちと目標をノートに書き出して気持ちの整理をしたりとか、自分の気持ちのコントロールはある程度できているかと思います。 ですが、根本的な心で感じる自分の命の扱いが軽いままなのです。 どうしたら自分の命も人の命と同じように尊ぶことができるのか、よろしければ教えていただきたいです。

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ある人の死、この世界で生きる意味

つい先日、ある若い俳優さんが亡くなってから喪失感と共に考えこむようになりました。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 彼はちょうど私の青春時代を代表する俳優さんでした。 初めて人の死に言葉では表せない感情を持ちました。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 人間を含め、生き物が必死に生き継いでいく意味が分かりません。 他を殺し、その命を頂いて、そこまでして生きて何になるのでしょうか。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ テレビでは朝から夜まで故人(俳優さん)の話題で沸騰しています。 母はずっとその関連ニュースやワイドショーを神妙な顔つきで見ています。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ それがとてつもなく気持ち悪いです。 言い方は悪いですが、メディアも親もエサに寄ってたかって群がるようで嫌悪感がします。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 自ら命を断った方の過去から全て掘り起こし、それについてコメントする。 テレビでその会話をして見せ、またそれを見る必要がありますか。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 私は連日のメディアや一部の人々の様子に気持ち悪さに似たものを感じ、心身ともに影響が出ています。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 私はこの綺麗とは言えない世界にこれからも生きたいとは思えなくなりました。 死にたいとも思いませんが、なんというか、どちらでもいいです。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 亡くなった彼の気持ちが理解できたとは言えませんが、 なんとなく少しだけ分かった気もします。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 真面目な人が生きにくく、 他人を変えることができない、 だから自分が変わることしかできないこの社会で、生きる意味はなんですか。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ 自ら命を断つことは最も惨いと思う一方で、自分で自分の終わりを決められる唯一の方法とも思います。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ うまくまとまってはおりませんが、 この世界で生きることに対しての疑問です。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 16
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