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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追記しました

こんにちは。
質問は規約により削除されました。もちろんあなたには信教の自由がありますが、削除された理由を確認し、ご自分でお調べになり判断してください。
ネットの情報はさまざま。あまりのめり込むことをしませんように。

過去にも同じような質問があり、私が同じように答えをいれていましたのでこちらも。
https://hasunoha.jp/questions/23137

追記しますね。
ネットに書かれたその標題(あなたが知りたいと思っている一文)こそがカルトにありがちパターンなのです。世の中に「絶対」「必ず」はありません。したがって仏教においてその質問に対する答えは「そのようなものない」となると思います。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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サイトの管理者検索

こんばんは。亀山純史と申します。せっかくのご相談でも、お答えすることが出来ずに申し訳ございません。

私もネットから仏教の知識を得ることがよくありますので、そのときの留意点を紹介しておきましょう。今後のご参考になさっていただければと思います。

1.ある仏教関係のサイト(メルマガも含む)があるとき、そのサイトは、そのサイトの管理者の仏教観とも言うべき視点で、仏教が語られていることになります。
2.たとえば、浄土真宗の住職が管理者であるサイトでは、親鸞聖人や浄土教を高評価するサイトになっているでしょう。さらには、お釈迦様のことばも、浄土教の立場での解釈になっていたりします。
3.したがって、そのサイトの管理者がどのような人なのかを確認することが大切です。そのとき、そのサイトだけではハッキリしない場合は、その人の名前で検索をしてみてください。そのサイト以外にも活躍されている方なら、いくつか別なサイトがヒットし、その人がどのような仏教観を持っているかがわかると思います。
4.そして、その管理者がどのような人なのかを確認した上で、そのサイトに書かれてある内容に触れるようにしています。
5.なお、仏教にも実に多くの教団や宗派がありますので、中には、カルトと思われるものもあると思います。ですので、サイトの管理者調べはとても大切です。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

光禪様
亀山様

削除された質問であるにも拘わらず、お答えくださりありがとうございます。
私は当該サイトを、盲信もしておりませんし批判もしておりません。
そして、その背景を少し存じておりますので、あまり深入りしないようにはしています。

ただ、今回は、記載されていた内容のその先を知りたかったのですが、それは平日の日中に流される動画の中で伝える、とされておりましたので観る事が出来ませんでした。

なので、それはお坊様に直接お聞きすれば「それ」について知る事が出来るのではないか、と思った次第なんです。

ですが、お二方が仰る通り、ネットによる情報には気を付けるように致します。
特に亀山様のネット情報の扱い方につきましては大変勉強になりました。
ありがとうございました。

光禪様、亀山様、本当にご丁寧にありがとうございました。

光禪様

更なるご回答をありがとうございます。

そうですか…
そのサイトには、よく、ある言葉が出てきます。
それは、その教えを広めたお方のお言葉なのだそうです。
揺らぐことのないと聞くと、心の平穏を望んでいる者からしたら、辿り着きたい境地ですよね。

当該サイトでは良い事もたくさん書かれているのですが、心惑わされるのであれば見ない方が良いかも知れませんね。
以前から迷っていたのですが、メルマガを解除します。

ありがとうございました。

「仏教」問答一覧

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

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亡くなった父が救われて欲しいです

10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

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病む人は嫌がられ…私のこと?

 いつもお世話になっております。朝からネットで法話を聴いて いました。 「老いた人は邪魔にされ、病む人は嫌がられ。これが人生。 仏教の教えに通じる」 とお坊さんが言っていました。  老いることは止められない。病むこともどうしようもない。  私は発達障害があり、体にも影響が出てしまうので、ヘルプ マークを付けています。満員電車など、「座らせていただけませんか」 とお願いすることも多々あります。  私の主治医の先生や支援者さんは、 「差別的、排除的な考えを持つ人は、世の中でも一部だよ」 「障害、病気だからみんなから攻撃されるという考え方は、 とても損」 と言います。  私が尊敬するくられ先生も、 「人は、不健康な人を見ると恐怖を感じるように進化してきた」 と言っていました。  しかし、 「障害を負っている人たち。確かに、周りの人は違和感を抱く。 でも、勉強している人や知っている人は、理解してくれる」 と続けました。  くられ先生は、毒物学や生化学に詳しい科学ライターの先生です。  しかし、お坊さんはその法話で、 「檀家の90歳のおばあさんは、いつも笑顔で『おかげさま』『ありが とう』が口癖の人。そのため、町内でも人気」 と言っていました。  私も、席を譲ってくださった方には、飴玉を勧めるように しています。断られてしまいますが、お礼の気持ちです。  私は、周りの人を怖がらせている、不快にさせているの でしょうか?どうすれば、病んでいても老いていても、邪魔にされない 嫌がられない存在でいられるでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ