お寺を変えるタイミング
亡くなった祖父の代から法要や月命日にお願いしている真宗大谷派のお坊さんなんですが、月命日にお経のために来ても、経本も開かず、両手を両袖の中に入れて、お経を上げて特に話もせず、帰ります。
先日、祖母が、亡くなりお通夜と告別式をお願いしました。自分も数度お通夜や告別式をに参列した事があるのですが、大体のお坊さんがお通夜の後に、故人との別れ方や、これからの生活していく上での心構えをお説教して下さるのですが、そのお坊さんは、お説教どころか、遺族や親族に対して会釈する事もなく、お経が終わればさっさと退室する。告別式でも全く同じでした。お付きの若いお坊さんの方はしっかり会釈して下さりどちらが位が高いのかわからない始末でした。
このお坊さんを、続けていくかどうか以前から親とも話していたのですが、今回の件で親にもう他のお寺さんに変えようと提案したのですが、49日の、お金まで払っているため変えられないと言っていました。
本当にお寺さんは変えられないのでしょうか?それと変えるタイミングいつがいいのでしょか?教えてください。
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こんばんは。愛想の悪いお坊さんがいてごめんなさい。
お寺を変える事は可能です。
私は、これから日本は、人口が減少するので、お寺は淘汰されていくと考えています。きちんとしたお坊さんが残っていくのではないかと思っています。
一方で、お坊さんはサービス業じゃないですからねぇ。
話が苦手なお坊さんもいます。愛想良く振る舞う事ができないお坊さんもいます。
ただ一面だけをみて「これはダメだ、かえよう」というのは短絡的かもしれません。
お寺の庭の手入れが行き届いている、とか、お坊さんらしい質素な生活ぶりをしているとか、良いところもあるはず。法事の時はかりでなく、普段の様子も見て、もう一度考えてみましょう。
お寺は選べます。
日本では家の宗教が強いですが、本来宗教は個人の自由ですので、個人で選ぶのが本当です。
あまりコロコロ変えるのは感心しませんが、相応の理由が有るのならば、変えるのは致し方ないと思います。
親御さんとよく話し合って、49日過ぎてから結論を出しても遅くないのでは無いでしょうか。