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私を妬む人が多すぎます。

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私はよく人に妬まれることが多いです。

例えば学生のとき、テストでクラスで1番の成績を偶然取った際
友人から「ちょっと何点か見せて」と言われ、素直に見せたらその場でテストをクシャクシャにされ、突き返されたことがあります。

また、旦那と遠出した際、姉から「写真撮ってたら見せて」と連絡があったので、こちらも素直に見せたら写真に卑猥な落書きをされた状態で返信してきました。

彼女たちとは自分から連絡を取らないようにしていますが、たまにこの仕打ちのことを思い出してしまい苦しいです。

自分からは一切自慢などしていないのに、人に迷惑かけずにただごく普通に生きているのに、どうしてこのような目に合わないといけないのでしょうか。これから生きていくのが辛いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きづらさの原因はどこにあるのだろう?

ご相談拝読しました。

過去の出来事について書いていただきましたが、そのような目に遭うとビックリしてしまいますし、辛く悲しい気持ちや、憤る気持ちにもなりますよね。

世の中には色んな人がいます。また、その一人一人においても色んな気持ちの時がありますから、本人でも思いがけない反応をしてしまうこともあるでしょう。

今回のあなたの自己分析である

>自分からは一切自慢などしていないのに、人に迷惑かけずにただごく普通に生きている

これって実はすごく難しいことだと思うのです。なぜならば自分と相手の者の見え方は違うから。だから良かれと思っても迷惑になってしまうこともあれば、傷つけてしまうことすらあるものです。
それならば誰とも関わらななければと閉じこもると今度は寂しくなってしまいますから人間とはやっかいなものです。

ところで、あなたは過去の質問における自己分析では

>周りに認められたい、否定されたくない、自己中心的に考えてしまう、 そして批判されるとムキになり、感情的になる

このように書いていただいておりました。そしてプロフィール欄にも色々書いていただいております。

どうでしょうか?ご自身の中で成長したな、強くなったなと思いますか?それとも批判の目が自分ではなく他者に向くようになったと感じますか?

どっちが良いとか悪いとかいう問題ではないと思います。

ただ、あなたが

>これから生きていくのが辛いです。

こう感じるのであれば、そうさせる何かがあるということは言えそうです。

その何かはどこにあるのでしょうか?

あなたを妬む人やあなたにとって不都合な人の中に原因があるのなら、そういう人たちとの関わりを断っていけば生きやすくなるのでしょう。

でもそうしていてもいつまで経っても生きづらいならば、その時はちょっと立ち止まって自分の在り方を見つめてみると良いかもしれません。

そして自分で自分のことを見つめるのは難しい、というか本来的にはできないですから、例えば仏教などの指針があるとまた見え方は大きく異なると思います。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

人間の力は人を救うためにある

禅の言葉にこんな教えがあります。
「捨てて捨てておのれを捨てて捨て尽くしたとき人の師となるべし」
人間の持っている力、才能、能力。
それらはみな自分の我欲の為にやるべきモノではないのです。
美声の持ち主なら、その声で人を歌声で感動させてあげればよい。
お話上手ならその力で人を学ばせた、楽しませればよい。
料理上手であれば多くの人に美味しいものを提供すればいい。
あなたは持って生まれた才能、努力して手に入れた才能があります。
それは恵まれです。授かりです。
ただしせっかくの才能も「アタシがアタシが」という自分だけの姿勢であれば妬まれる。廻らし向けることです。
人間本当は自分のものなどありゃしません。だからこそ、その自分の授かっていること、恵まれた力でもって、あなたに絡んでくるそういうKUZU人間やKUSO野郎をも助けてあげればいいのです。(クズとかクソ言わない笑)

私の友人で会うたび冗談しか言わない人が居ます。
普通の会話をほとんどしたことがありません。
終始冗談を言うのです。
それが彼の温度、テンションなのです。
禅では挨拶と言いますように、相手のプライドや調子づいた心が残っていないか試されることがあります。まぁ、中にはそれにふさわしいくないタイプの人もやってくるのですが、それでもこちらに我が立たなければいくらバカにされても減るもんは何もありません。
人生30年生きてきて本当の財産とすべきことは何ですか。
山のように高いプライドですか。
🗼東京タワー、スカイツリーのような気高い自意識、プライドですか。
そんなものは邪魔だと知るべきでしょう。
あるからぶつかる。持っているから衝突するものと知ることです。
ある一定の域に達した器の大きな人間であれば、人が茶化しても「はいはい。わたしバカなもんでバカにされてるのも分からんくらいバカなんでちゅー。(笑)」と、場をやわらげる位の人間性を持つべきです。
それが結果的に、相手が悪意でバカにしてこようとしても、こちらにぶつかるものが無くなるしなやか・かろやか・ふれきしぶるマインド「柔軟心(にゅうなんしん)」なのです。
くしゃくしゃになった紙はもう、キレイを保とうとする必要がない。
どんな形にでもなれる自由さがある。
卑猥な落書きもその卑猥だと思っているモンが無い限り人は誕生しない。
柔らかな「えんとつ」になる修行をしましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。

ご指摘がありました下記の性格につきまして
>周りに認められたい、否定されたくない、自己中心的に考えてしまう、 そして批判されるとムキになり、感情的になる
こちらの感情は現在私の中では既に無くなっています(この件について投稿したことすら忘れていたくらいです。)

また「私が私が」と自分本位にしか考えない人たちはそのような感情が薄れるまで見守っていくことも過去にご回答頂いております。
問題は「そのような人達に振り回された場合はどうすればいいか」ということです。
(明確に質問できておらず、申し訳ありません…)
そのためには、まだ私には足りていない「柔軟性」を鍛えていくことを、
今後の目標にさせて頂きたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ