義母に優しくなれない自分
先月、体調不良になった義母。精密検査をしたところ、大腸の2ヶ所に大きなガン、すでに肝臓に転移して10センチ以上のがんが見つかりました。何もしなければ半年、考えられるすべての抗がん剤治療がうまくいったとすると2年、と言われ、その場で入院になりました。
辛いことばかりだった、と言うので、せめてこの最期の時までに少しでもいいことがあるといいなぁ、なんて思っていたんです。仕事の合間にお見舞いに行くのも頑張れました。
でも、だんだんわがままというか、自分の思ったとおりに進まないとふてくされてしまうようになりました。難聴を持ってる分声が聞こえず、家族と主治医が目の前で話していても、そのあときちんと説明しても、隠して教えてくれない、というようになりました。
また、難聴なのもあるかとは思うのですが、声のトーンが大きく、同室の方がどんな治療してて、誰が来ていた、看護師さんや主治医に対する批判、自分のこれまでの苦労話や親戚への文句を部屋中に聞こえる声で話していて、いくら制止しても直りません。
だんだん私も腹が立ったりして、つい愚痴ってしまいます。かわいそう、と腹立つなあ!を繰り返しているうちに、主人にたいしても申し訳ないと思うようにもなりました。実母が大病しているのに、私は義母に対して愚痴ばかりだと
末期ガンの義母に優しくなれない自分。人としてどうなの??愚痴ってばかりいたら、ちゃんとやってることにならないよ!そのふたつの思いのなかで、気持ちをどう置けば良いのかにすごく悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
難聴への理解を。是非、筆談をしてあげてください。
そうですか。。。それは大変ですね。
あなたも、もどかしさを感じているのですね。
病と闘う本人も、また側で支えるご家族も、それぞれに想いがありますからね〜100%の優しさでは なかなか向き合えないときがありますよね。あって当然だと思います。
あなたの質問を読ませていただいてね、考えられることは、上手く意思疎通が出来ていないから起こるイライラかなと思います。
まず、義母さんは、治療の真っ只中。
痛みや怠さ、しんどさ、身体の不調を抱え、精神的にも不安や恐怖もあって、たまらないだろうと思います。ついつい家族に当たってしまうのも理解できますよね。
もう一つ、私は日頃、聴覚障害者のサポートをしていますが、難聴者は聞こえが難しいので、自分の声の音量もわからないのです。ひそひそ話のつもりが、周りに聞こえる大声になっていることにも気づきません。是非、筆談をしてあげてください。
想像してみてください。
あなたが耳が聞こえにくくて、いくら耳元で大声で「聞こえてる?わかっているの?」と言われても、不自由な状態だと聞こえないばかりか、 周りからの視線は感じるし、ただただ恥ずかしい思いばかりするのです。
また、自分の病の話なのに、自分には分からず、医者と家族だけが話をしていると、自分の問題なのに、自分が除け者になった気持ちになるのです。
あなたが反対の立場なら、どうでしょうか。
病を抱え、孤独を感じませんか?
私をひとりにしないでと、悔しくなるし、悲しくなる。家族にも当たってしまうのだろうと思いますよ。
私は、要約筆記者なので、依頼があれば、病院の診察やまた様々なコミュニティの場で、筆談や要約筆記をして、難聴.中途失聴者へ情報保障の通訳をしています。
耳の聞こえに不自由があっても、自分が必要とする情報の保障は、その人にとって当然の権利なのです。
ですから、あなたも介護サポートは大変かと思いますが、是非、ボード、紙、ペンを持参して、筆談してあげてください。
そうしたら、今のような悩みは、無くなるんじゃないかしら。義母さんも、不安が軽くなると、精神的にも落ちついて治療に取り組めると思います。
話し声も「声のトーンが大きくて、周りに丸聞こえになっているよ。もう少し小さな声で話しましょう」と書いて知らせてあげてくださいね。
限られた時間です。
家族で大事に過ごしてくださいね(﹡´◡`﹡ )
質問者からのお礼
ありがとうございます。
筆談はしていたのですが、もう少し言葉を選び、分かりやすく書いてあげるようにしていきたいと思います。
少し補足させていただきますと、義母は『自分の知っている中で物事を判断する』という部分を持っています。そして、それに従わないと、こちら側を非常識ととらえてしまうのです。
あわせきれない都合もある時はそう伝えるのですが、思い通りにならなかった、とそっぽをむいてしまいます。
これからが長丁場になっていく中で、あわせきれないことも出てくると思うのですが、そのときはどう伝えて納得してもらうのがいいでしょうか?