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〝感謝〟

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有り難し有り難し 7

「仏教的・釈尊の法として、〝感謝〟〝御恩〟の 概念 とは、どのようなものでしょうか?」

昨年は、大変、お世話になりました。
件の問題は、そのまま遺恨となったままですが、私自身は回復傾向にあり。
家族間 以外に関しては、至って順調… だと思います。
父母や家族に対しては、新しい境地です^^;

日々、試行錯誤のリハビリ中で、周囲の皆さんの 理解と協力 に、感謝しきりの毎日です。
先日、ふと、(宗教全般に関してではありますが、まずは仏教的に釈尊へ)疑問が浮かびました。

シッダルッダは、かつて、妻子を捨て国を捨てて、悟りへの修行の道を進んだと記憶しています。
息子や国の民は、その後を追い続け。
妻や女性たちは、追うことも許されなかった(ただ後を付いていったけれど受け入れてはもらえなかった)…?

宗教的には、神や仏へ対しての敬意や信仰については説かれていると思うのですが。

では、その他の存在への〝感謝〟〝御恩〟とは、どのように話されているのでしょうか?

“生きる”ということは、決して 独り では行えないのだと思います。
だからこそ、他に 救い を求める。

生きとし生けるものすべて。
救い 救われ。
支えられ支えて。

そういうことについての、仏教の概念を。
そういえば、私は知りませんでした。

寺院や僧職でいえば、在家の方からの支えがあってこそ、成り立っている職だと思います。

宗教全般に限定したものでもありませんが…

個が尊重されるのは、大変に良いことだと思うのですが、個人主義に偏向し過ぎてしまっているように感じてしまう昨今。
仏教という立場では、どのように解釈されているのかが気になりました。

浅学を恥じるばかりです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

追記 恩を知る人はレアな存在。金品以外も布施

恩を知る人は得難き存在である、レアな存在であるというのは、経典にもあると思います。
恩を知る、知恩。また、恩に報いる、報恩というのは仏教でも言われる言葉です。

出家と在家の関係で、日本人的な感覚と、現在日本の消費者感覚から言うと、檀家さんは、お布施したときに住職から、
「いらっしゃいませ○○様。お布施ありがとうございます。またどうぞお越しくださいませ。」
くらいの態度をされたいかもしれませんね。
実際私も、檀家さんからお布施やお供えをいただいたら「ありがとうございます」とお礼を言います。
ただし、他人からされた恩を知ることは良いことですが、他人に施したことに執着しているのは良くない、報いを期待して布施するのは良くないと思います。
寄付(布施)をしたら、もう自分のものではないのです。
「私が寄付したもの」と執着して手放さないのは良くないのです。
「私が役所に寄付した絵画を役所が目立つ場所に展示していないのはケシカラン」とか、寄付をしたのに心の中ではまだ「私のもの」と執着しているのでは、布施にはならないのです。
また、宗教法人にとって檀家信徒は構成員(会員)であり、顧客ではありません。
で、親や家族、教師などか、「私が子供にこんなにも良くしてやったのだから」と、子供からの感謝を期待するのは良くありません。
しかし、子供や生徒、布施された側が、恩を知り感謝するのは貴いことなのです。
出家する場合、恩愛(おんない)の絆に執着しすぎると良くありません。
私達ははるか昔から輪廻転生してきました。
現在の家族だけが家族ではありません。
家族から離れたくないからと執着することが修行の妨げになってはいけない。これは、家族全員が仏教徒ならクリアできるハードルです。
「出家するなら家族のことは気にしないで修行してOKだよ」と家族にも共通認識があればトラブルにはなりません。
そうでない場合は問題もあります。
なので、児童が出家する(家族の恩愛の束縛から離れる)ときには親の許可が必要です。
最初、お釈迦様が息子のラーフラ王子の出家を許したとき、家族から苦情があったので、お釈迦様は、子供を出家させるときには親の同意が必要というルールを作ったのです。

形なき行動の布施(お寺に対してだけが布施ではない。他人に見返りを求めないサービスは金品も行動も布施)にも恩を知る、です。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

>>願誉浄史
回答、ありがとうございました。
私の質問の仕方が、分かりにくかったかもしれません。
私が疑問に思ったのは、目に見える金銭のような[布施]ではなく、家事労働や婦人会・地域住民の皆さまからの、目に見えない[奉仕]のようなものです。
‘当たり前’は、無いと思うのです。
けれど、カタチの無い 恩 に対して…
人は無意識・無頓着です。
どうか宜しくお願い致します。

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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