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先進国で消費社会を生きていくという、業

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有り難し有り難し 26

私は日本の都会の街のベッドタウンに住んでいます。
電化製品もプラスチックも普通に使う、ごく一般的な先進国の生活だと思います。
仕事は、電化製品にまつわる仕事です。
文明に乗っかってのうのうと生きています。ここでネットで質問が出来るのも、その証拠でしょう。

しかし、そのことにたまに吐き気を覚えるのです。
(反吐が出る・怒りを覚えるというよりは、このままで良いのかと申し訳なくて胃が痛むといいますか……些か蛇足ですが、現在進行形で考え過ぎでお腹を下しております)

食べ物を食べれば家畜の福祉問題が気になり、買い物をすればプラスチックの廃棄物問題やらレアメタルにまつわる紛争やらが気になり……。普通に日本で生きていて何か大量消費社会の歪み、社会問題に関係しないことがあるのでしょうか。

かといって、私は環境問題の活動家になりたいわけでも、自給自足で生きていきたいわけでもないのです。病気や障害を持った人など、現代の社会であるから生きられるような人もたくさんいるでしょうし、文明が発達し教育が行き届いているからこそ、女性である私が自由な生活を手にできるのでしょうし。

現代文明の有り難みも罪も、両方ある程度承知しております。

もっとあけすけに言うのなら、そういうことをさして気にせずに、このまま文明社会で無知に能天気に生きていきたいのです。せいぜいスーパーの袋を断って、物を大切にするくらいで、楽しく生きていきたいのです。

お坊様は、この消費社会・現代文明で生きていくということの業……といいますか……について、どう考えられますでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「茹でガエルになりそうな自分」を見つめる

 聞いたことがあるかと思いますが、「茹でガエルの法則」と呼ばれる学説・教訓(?)があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B9%E3%81%A7%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB
このウイキペデイアの記事にも「法則」の問題点が指摘され、ネットでこの法則を検索すれば「この法則は嘘である。」という異論も多数出ているようです。でも、「人は易きに流れる」ということへの教訓・警鐘としてこの法則を受け留めた方が良いと私は考えています。

 私は東北地方に住んでますから、結構寒い冬の日々を過ごしております。でも、生まれ育った実家は更に寒冷な場所でした。それ故、現在の場所に住むようになった頃は、同じ東北でもここは温暖だなあと思い、「今日は寒いねえ。」なんて言っている人を「これくらいで寒いって言うなんて。」と思ってました。でも、今はその温暖さに慣れ、より寒冷な気候への耐性が失われてしまいました。
 地球温暖化で影響でしょうか、夏の暑さが年々強まっています。エアコンを使う時間が
増え、電気の消費量を増えています。これも「茹でガエル現象」の一つだと思います。カエルは茹で上がる前に逃げ出すようですが、私らは茹で上がってしまうのかも。

 「易きに流れてしまう」自分のお弱さを自覚することが、大事だと思います。自分の弱さを自覚しても、現実には易きに流れ、怠惰な日々を送る場合も多いでしょう。だからこそ、今生きていることを神仏に感謝し、至らぬ身である自分を神仏に懺悔(さんげ)するのです。そのための場所として菩提寺があります。自宅には仏壇があるのです。

 

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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ヒトも自然環境の一部

ヒトも自然環境の一部ではないでしょうか。
ですから、ヒトが地球環境に変化をもたらすことも、地球上の環境の変化の一部であり、「環境破壊」と騒いでいるのは人間だけかもしれません。
プラスチックごみで迷惑を被る生き物がいるのは事実ですが、一方で、プラスチック原料である石油は過去の生き物の死骸ですよね。
ビニール製の財布かワニ革や牛革のカバンか、ワニさんや牛さんにとってはビニール製のカバンが流行る方が助かるかもしれません。
多くの恐竜が滅んだ(一部の恐竜は鳥となって生き残った)ように、いずれヒトも滅ぶでしょう。
環境は無常ですから。
私達は、悩み苦しみの原因となる煩悩に気をつけながら、できることをできる範囲でやれば良いのです。
世俗のルールはどんどん変わります。
柔軟に対応していけば良いと思います。
怒りはストレスにつながる煩悩です。
環境問題という正義が理由であっても、怒るのは悪の感情なのです。
怠け心も煩悩です。
プラスチックごみを分別してリサイクルにまわすのは面倒臭い作業です。
怠けの煩悩が全くない仏様や菩薩様なら、ミリ単位の細かいごみまで分別作業を怠らないかもしれません。
私達には怠けの煩悩があるので、ついつい手抜きして燃えるゴミと一緒に捨ててしまいますね。
そのように、仏教的には、感情(煩悩)に着目して生活した方が良いように思います。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「出離心」と「菩提心」

せろふぁん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠にこの世は、悪業を積むためにあるのではないだろうか、と思いたくなるほどであります。

もちろん、実際にそうなのであります。

輪廻世界にあるということは、迷い苦しむ中ということであり、早くこのような輪廻から抜け出たいと思う心が「出離心」と申しまして、輪廻を厭い、仏道へ向かうまさに第一歩となる心でございます。

また、「出離心」から周りを見れば、そんな輪廻の中で自分と同じように一様に迷い苦しんでいるありようがございます。

自分も含めて、皆の迷い苦しみ様を何とかしてあげたい、皆を救って参りたいとして、そのための法を求めるべくして起こす心が「菩提心」というものとなります。

この輪廻から皆を救うための法を釈尊がお説き示されておられます。

是非、ここより仏教へとより関心を持って学び修していって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

願誉浄史様、吉田俊英様、ご回答ありがとうございます。

根底は同じながらも対照的な回答を頂戴致しまして、かつどちらも腑に落ちると申しますか、有り難いお言葉だと感じました。願誉浄史様のお言葉は私にとって救いだと感じましたし、吉田俊英様のお言葉には引き締められる気持ちでございます。

頂いた言葉を大切に、手を動かし頭を使って自分なりの在り方を探していきたいと思います。

川口英俊様、ご回答ありがとうございます。

人間の悪行を仏教的な観点から捉えたお話、興味深く拝読致しました。私は篤く仏教を信仰しているわけではないのですが、お釈迦様がどのような道を示されたのか、少し興味が湧いてきました。仏教について学ぶいいご縁かもしれません。改めて、ありがとうございます。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ