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子育てについて

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子供の頑張りを願い期待することは親としてダメな事でしょうか? レギュラーになれず試合にでるチャンスすら与えてもらえない。本人の気持ちはわかりません。キツイ練習に耐え日々戦っている事は分かっています。だからなにも言わずに見守ってはいます。が、やはり活躍する姿を願ってしまいます。メンバー発表があるたびに心が枯れていきます。悲しくて心が折れてしまいます。親の勝手な考えなのもわかっているのですが涙が出ます。この考えからして間違いなのでしょうか?
気持ちの整理の仕方が分かりません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【如是如是】そのとおり それでいい

ん?なんか変か?それでいいんだよ。

あなたのお気持ちは、痛いほどよくわかります。それは親としては自然な感情です。どうかこれからもお子さんの一番近くで、お子さんとともに泣き笑いする一番の善き理解者、応援者として見守ってやってください。

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平日は夜間のみ対応可能。

駅につかなくても電車には乗って揺られている

人間は切り取った光景ばかりを好むところがあるのでしょう。
お子さんが頑張っている。
それ自体が一番宝なのです。
結果や成績うんぬんは今ないところです。
仮に最高の成績をとっても、その語の人生が続きます。
私たちはゴールの置き場を誤ることがあります。
それは「いい成績を取る」というワンポイントだけではありません。
頑張っている姿、そこから学びを深めていく姿、
一日が朝昼晩だけではなく一年が春夏秋冬という言葉だけではないところがあるように。
花も芽、つぼみ、花だけではないその時、ところがあるように。
何とも言いようのない時間の中。
何とも名付けようのないところにこそ、人間も今その時を生きているのです。
そういうところにこそ最高のものがあるのですが、ゴールを誤るとゴール以外は色あせて見えてしまう。そんな心に人は染まってしまうもの。
あなたがあなたの親から結果や成績しか期待してくれない親だったらお迎えに来てくれた時も気まずい思いをするのではないでしょうか。
太陽が愛であれば、太陽は毎日隔てなく光・暖かさ・恵みという愛をくれます。
見守るということは本当は、そういう姿ではないでしょうか。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まるで阿弥陀様のようです

お子さまの頑張りに、一喜一憂し、ともに悔しいと感じておられる姿に頭が下がります。
私の子どもは、サッカーに通っていますが、センスなしです…頑張っているし楽しんでいるけれど痛々しい(^_^;)
つい「サッカー諦めたら?」と言ってしまうこともあります(親としてダメですね)
しかし「すごい頑張ってるね」というと、子どもはニコニコするので「必要なのは努力する姿を認めること」と感じています。

メンバーに選ばれない結果に注目するより、そこに至る努力や姿に注目することが大切です。

悔しい、悲しいけどあなたの頑張りは知ってるよ。
その頑張りが、人生のどこかで活かされる。
私より悔しくて悲しいのは、あなただけど、あなたの姿に私は勇気をもらってると意識を変えることで、心が前向きになればと思います。

大人だったら諦めてしまうかもしれない状況で努力し続けるお子さまは素晴らしいです。
親もその姿を見て、たくさん学ばせてもらえますよね。
努力や学びは財産です。
そこを大切にお互い見守り続けましょう(^^)

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有り難し
おきもち

普通のOLから、結婚をきっかけに仏教に興味を抱きお坊さんになりました。 離婚・再婚などなどお坊さんらしくない、経歴もありますが、様々な経験をしたからこそ仏教に出遭えたんだと前向きに捉えています。 仏の教えは、慈悲や優しさだけではありません。 自分を見つめ続ける、厳しい教えです。その先にある慈悲の素晴らしさを少しでもお伝えして、ともに味わっていきたいと思っています。 仏教は生きるための教科書だと思っています。まだまだ勉強が足りませんが、悩み考えて仏教を深めていっています。 少しでもお役にたてるように私自身も勉強させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

質問者からのお礼

ありがたいお言葉ありがとうございました。少しでも共感して頂いたり、違う角度から見るヒントになるお言葉は本当にありがたいです。

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