子育てについて
子供の頑張りを願い期待することは親としてダメな事でしょうか? レギュラーになれず試合にでるチャンスすら与えてもらえない。本人の気持ちはわかりません。キツイ練習に耐え日々戦っている事は分かっています。だからなにも言わずに見守ってはいます。が、やはり活躍する姿を願ってしまいます。メンバー発表があるたびに心が枯れていきます。悲しくて心が折れてしまいます。親の勝手な考えなのもわかっているのですが涙が出ます。この考えからして間違いなのでしょうか?
気持ちの整理の仕方が分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【如是如是】そのとおり それでいい
ん?なんか変か?それでいいんだよ。
あなたのお気持ちは、痛いほどよくわかります。それは親としては自然な感情です。どうかこれからもお子さんの一番近くで、お子さんとともに泣き笑いする一番の善き理解者、応援者として見守ってやってください。
駅につかなくても電車には乗って揺られている
人間は切り取った光景ばかりを好むところがあるのでしょう。
お子さんが頑張っている。
それ自体が一番宝なのです。
結果や成績うんぬんは今ないところです。
仮に最高の成績をとっても、その語の人生が続きます。
私たちはゴールの置き場を誤ることがあります。
それは「いい成績を取る」というワンポイントだけではありません。
頑張っている姿、そこから学びを深めていく姿、
一日が朝昼晩だけではなく一年が春夏秋冬という言葉だけではないところがあるように。
花も芽、つぼみ、花だけではないその時、ところがあるように。
何とも言いようのない時間の中。
何とも名付けようのないところにこそ、人間も今その時を生きているのです。
そういうところにこそ最高のものがあるのですが、ゴールを誤るとゴール以外は色あせて見えてしまう。そんな心に人は染まってしまうもの。
あなたがあなたの親から結果や成績しか期待してくれない親だったらお迎えに来てくれた時も気まずい思いをするのではないでしょうか。
太陽が愛であれば、太陽は毎日隔てなく光・暖かさ・恵みという愛をくれます。
見守るということは本当は、そういう姿ではないでしょうか。
まるで阿弥陀様のようです
お子さまの頑張りに、一喜一憂し、ともに悔しいと感じておられる姿に頭が下がります。
私の子どもは、サッカーに通っていますが、センスなしです…頑張っているし楽しんでいるけれど痛々しい(^_^;)
つい「サッカー諦めたら?」と言ってしまうこともあります(親としてダメですね)
しかし「すごい頑張ってるね」というと、子どもはニコニコするので「必要なのは努力する姿を認めること」と感じています。
メンバーに選ばれない結果に注目するより、そこに至る努力や姿に注目することが大切です。
悔しい、悲しいけどあなたの頑張りは知ってるよ。
その頑張りが、人生のどこかで活かされる。
私より悔しくて悲しいのは、あなただけど、あなたの姿に私は勇気をもらってると意識を変えることで、心が前向きになればと思います。
大人だったら諦めてしまうかもしれない状況で努力し続けるお子さまは素晴らしいです。
親もその姿を見て、たくさん学ばせてもらえますよね。
努力や学びは財産です。
そこを大切にお互い見守り続けましょう(^^)
質問者からのお礼
ありがたいお言葉ありがとうございました。少しでも共感して頂いたり、違う角度から見るヒントになるお言葉は本当にありがたいです。