昔いじめをしてしまった事について
読んでいただきありがとうございます。
私は高校時代に同じ部活の仲間をいじめてしまった事があります。
その仲間はその後部活と学校を辞めてしまいました。
恥ずかしい事に自分のした事の重大さに気がついたのは社会人になってからで、その友人に謝りたいと思い、電話をかけたのですが、勇気が出ずその時は世間話などして終わってしまいました。
後日メールで高校時代はごめんねとメールをしました。
友人からはこちらこそごめんねという返信がきましたが、自分がした事は一生許される事ではなく、今後かならず自分の身にも同じような事が降りかかってくると思っています。
私は人をいじめて人の人生を狂わせておきながらこんな平凡に生きていている自分が嫌になります。
償うとすればどのような償いをすべきでしょうか?
メールではなくもう一度きちんと友人と会って謝るべきでしょうか?
私は海外留学したいと思っていたのですが、そんな夢を追う資格のある人間ではないと思います。
私は今後いじめてしまった事を償うためにどのような行動、生活、心持ちで生きていくべきでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
1人よがりの自己満足より、他人を幸せにする自己満足を!
過去の質問も含めて読ませていただきました。
過去の罪に苦しんで、押しつぶされてしまいそうなんですね。心中お察しいたします。
さて「償い」といいますが、それには色んな方法が考えられます。
しかしどのように償うにしても、それは自己満足の域を出ません。なぜなら、過去を消すことはできませんし、事実は事実として顕然と存在するのですから。
たとえばなつきさんが海外留学を辞めたとしても、それで相手の方が幸せになるわけでも満足するわけでもありません。しかし自分にとっては、不幸を背負うことで何だか罪を償って心が軽くなった気がするわけです。
それならば、自分1人が苦しみを背負って終わる自己満足ではなく、他人を幸せにするかもしれない自己満足を目指してみて下さい。
たとえば、その友人にメールで謝ったとのことですが、向こうもいきなり謝られても戸惑ってしまうでしょう。それに一方的に謝罪しただけでは、それこそ昔の事を掘り返しただけの自己満足に過ぎません。
一度掘り返したのであれば、それに責任を持ちましょう。しっかり相手と向かい合って、話をしてみて下さい。高校を辞めた後何をして、今どうしているのか?そういったこともしっかり聞いて受け止めることが大切ではないでしょうか。
ひょっとしたら過去の事をバネにして、相手の方は今を一生懸命生きておられるかもしれません。そういったことも含めて、しっかり受け止めてみて下さい。
また先ほども述べましたように、自分の夢を諦めたとしても、それは自分1人の罪の意識を軽くするだけの自己満足に過ぎません。
いえ、ひょっとしたら相手の方は「自分のせいでなつきさんは夢を諦めた」と責任を感じるかもしれません。自分の罪の意識を軽くするために、相手をまた傷つけることにもなりかねないのです。
ですから、自分も不幸を背負うという選択を安易にしないでいただきたく思います。
それよりも、留学するなら一生懸命学んできて、自分が一人前になり、世の中に少しでも影響を与える人間になって、「イジメは絶対にいけない!」という発信をした方が、よっぽど世の中のためになりますし相手の方の心にも響くでしょう。
このように、安易な1人よがりの自己満足に走るのではなく、困難かもしれないけど他人を幸せにするかもしれない自己満足を一生懸命生きて欲しいと思います。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
悪いことをした以上に良いことをしていくこと。
なつきさん、こんにちは。
昔、同級生をいじめてしまったことを後悔してしまっているのですね。
でも、メールでも本人に謝ったのですね。素晴らしい勇気です。
人は人生の中で過ちを起こします。大小かかわらず、過ちをせずに、完璧な人生を送れる人はそんなにおりません。反面、人は、善行もたくさんできます。誤まって過ちをおかすからこそ、たくさんの善行もしていくことで、人の人生はプラマイナで歩んでゆくものなのです。もちろん善行をたくさんしてプラスに持っていくことで正しい道を歩むようになるのです。
後悔先に立たず、起こしてしまったことは未来に向かって償うしかありません。いじめをしたことを後悔するならば、人を助ける生き方をどんどんしていきましょう。そうすることによっていじめの体験が転じて善行へのきっかけになるのです。
その体験を逆縁の宝にして、ボランティアでもいいし、福祉の仕事を目指すのもいい。どんどん人様のために生きる人生を歩んでいきましょう。素晴らしい人生になると思います。
がんばって!応援します。合掌