友達に悪いことをしてしまった
私の学校では体育祭にダンスをやります。
そこでダンスで使える曲は4曲に限られていました。
友達が使いたい曲があるから私からも頼んでおくように言われ、リーダーっぽい人に頼んで
その曲が使えるようになりました。
その後あと一曲使えるようになってその一曲を
ダンスの係で話し合っていたのですが、
使うはずだったその曲がなぜか無くなっていたんです。
私はどうせその曲を使わなくなったからと、あと一曲に自分が本当に使いたい曲で頼んで、
それが使えるようになりました。
後から友達から頼まれた曲をあと一曲に使うよう頼めば良かったと気づきました。
どうして友達の頼みを優先せず自分が使いたい曲を言ってしまったんだろうと後悔しています。
その友達には言って許して貰えましたが、肝心な所が聞こえなかっただけかもしれないし。
きっと友達は楽しくダンスをできないし、私も後悔であまり楽しみではありません。
今さら変えてと頼むのも周りに迷惑がかかってしまいます。
文章が分かりづらかったら申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よくあることですが、「いい経験」として今後に活かそう
自分の希望を後回しにして、友達の希望を優先してあげようという気持ち、とても素晴らしいです。こういう心がけを仏教では「自未得度先度他」と言います。自分が悟りの境地に留まることよりも、周囲の迷える人々を仏の世界に導いていこう。という意味の言葉です。詳しくは、netで検索してみてください。
ダンスで使う曲数が限られており、希望する曲がたくさん寄せられれば、グループのリーダーや幹部は取捨選択をせざるを得ないと思います。希望しても、全部が採用されることは無いですよね。何曲かが選に漏れてしまいます。ダンスに素人である私でも想像つくことですが、取捨選択の基準があると思います。
1、其々の曲の振り付けの難易度
2、其々の曲の振り付けのパフォーマンスがステージでどう映えるか?
3、ダンスパフォーマンス全体をどのように構成するか?
おそらくリーダーや幹部は上記のような観点から曲を選び、振り付けを考え、ライブ全体の構成を考えていると思います。そういう作業の中で、当初採用した曲でも、全体の構成のことを考えると外さざるを得ないこともあります。一方、当初対象外だった曲でも、全体の構成を考える過程で、新たに組み入れる場合も少なくないと思います。仮に単独の曲のパフォーマンスで素晴らしい場合でも、前後の曲との組合せを考えると、演目には入れにくいこともあります。人其々好みも違うし、考えも異なります。それ故、すべての人が納得できる選考とはなりにくい部分があります。
友達の好きな曲を強く推薦したからと言っても、必ずしもその希望が通るとはかぎりません。あんみんどうふさんの責任では無いと思います。自分を責める必要は無いですよ。友達を思いやる気持ち、これからも大切にしてください。
これからの人生、こういう機会は結構多いです。大人の世界の現実として、上の立場の人からの「鶴の一声」という圧力があったり、上の立場の人をヨイショする意図からの「忖度」があったりします。正論が正論としてすべて受け入れられるとは限らない現実が、あります。正論を通すためには、いろいろと準備して賛成者を増やす努力も必要です。なかなか難しいことも多いです。そういう中にあっても、周りの人を思いやる気持ち、これからも大事にしてください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。結局、私が使いたい曲も使わなくなりました。
その友達とは同じ曲の振り付けを考えて、皆に教えました。
今度もダンスする機会があるので、その時は友達が踊りたい曲も、私が踊りたい曲もできたら良いな、と思います。