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私は幼い動物の命を殺めました

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街中で弱っているように見えた幼カラスを、自然の摂理に反し保護してしまいました。
今では愚かな判断だったと思います。

連れ帰り、詳しくも調べることをせず素人判断で餌を与えたら…そのまま亡くなってしまいました。

餌を口に入れてやってすぐ、目の前で苦しみ亡くなったのです。
鳥を飼った経験もない私が餌のやり方を把握できないばかりに幼いカラスの命を奪ったのです。

明らかに私の餌の与え方のミスです。

あの子は喉に詰まらせて、まだ少ししか生きてないのに私が殺したのです。
もしかしたら、あの子は保護しなければ自然に生きていたかもしれないのに、私がただのエゴで連れて帰り殺したのです。

私は、どうしたら奪った命の報いを受けれますか?

悪気はなかった、助けようと思った。
そんなのは何の言い訳にもなりません。
私が、あの子の生きるはずだった未来を奪ったのです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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智慧と慈悲

うちださま

お優しい御心遣いにそのカラスの子に代わりまして、お礼申し上げたい気持ちであります。

この世にはご縁が調わずに命を失ってしまうものはたくさんおります。人もそうであります。

そのカラスの子も、少しご縁が調わなかったのでありますでしょう・・それには仕方の無きこともございます。

ほおっておいても、おそらくは難しい命であったかもしれません。

それをほおっておけずに保護なさられましたお気持ち、それは紛れもない真心からのものではないでしょうか。

結果は確かにうまくいかなかったのですが、その真心からの気持ちは、無にしてしまわないようにだけはどうかお願い致したいと存じます。

また、その真心はきっとそのカラスの子にも伝わったものがあると思います。

次の赴きでは少しでも善きところへと参れますようにと、ご供養申し上げたいと存じます。

ここからは、少し仏教のお話となります。

相手を思い遣り、相手の苦しみを何とかして取り除いてあげたいというのは、「慈悲」として大切な仏教における教えとしての心の一つとなります。

しかし、そう思ってあげても、その者を救えるかどうかには、もう一つの大切な心としての「智慧」が必要となります。

「慈悲」だけでは、実は、その者を救えないのであります。もちろん、かと言って、「智慧」だけでも救えないのであります。

この「慈悲」と「智慧」をバランスよく修習することにより、適切な救済活動が可能となるのであります。

この度は、「慈悲」があったものの、その者を助けるための具体的な賢さとなる「智慧」が足りなかったということとも言えます。

どうすれば、実際に救えることができるのか、あるいは、この生の命のことだけではなく、その者の次の来世、来来世へと、どうより善いあり方へと向かわせてあげるべきであるのか、是非、この機会に少し仏教から学ばれて頂けましたら有り難くに存じます。

まだその子を真に救うためにできることがあるのであります。それを知って頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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