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瞑想や禅

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有り難し有り難し 18

瞑想や禅やマインドフルネスなどをしようとすると、しなきゃいけないと思うのか、
気分が悪くなります。
ですので、歩いているときに意識したり、
食事をしているときに意識したりと、
簡単なことからやっていこうと思ってやってみたのですが、そこでも、瞑想をやっている、と強迫観念があるのかわかりませんが、気分が悪くなってきます。
ですので、ここ半年は瞑想や禅やマインドフルネスなどはやっていませんでした。
しかし、瞑想や禅など、どんな形であれやっていた当初のことを最近思い出して、その時の自分と今の自分を比較してみたら、人の発言にすぐ反応してしまって、疑いもせず思考の声を信じきっている状態で、もう一度瞑想や禅をしたいな、という気持ちが現れてきました。
そして、また瞑想や禅に挑んでみたのですが、半年前と変わらず、気持ちが悪くなってしまいました。
生活に支障が出るので、今はやっていないのですが、どうにか瞑想や禅をすることは出来ないでしょうか
ちなみに半年前は頭の痺れが現れると書いて相談致しました。

2019年6月21日 22:16

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

坐禅や瞑想は能動的に「やる」もんじゃない。

パソコンもポインターを動かさず放っておけばスクリーンセーバーが起動します。
坐禅や瞑想は能動的な意識を「休める」のです。維持とか集中はしない。そのコツを指導してくれる指導者の下でならうとよいでしょう。
自分に何かを「させる」「する」のは坐禅や瞑想ではありません。
日常盛んな能動意識を動かさないスタンスなのです。
人間はいつの間にやら勝手に起動してしまうアプリのように、自分意識・私意識・自分自分と認める自分を中心とする意識が「立ち上がって」いるのです。
坐禅は、能動意識を一切用いないから、自己を忘ずる状態になる。
そうすると内なる思いに反応する自分アプリがオフになる。
自我意識がオフになった方体で生活をしていれば、そのことが「ただそのこと」になる。
そのことに対する突っ込みを入れなくなるから、障りが生じない。
そうすると自己の身心スクリーン上に現れる一切のものが、あなたの名前のように無常なる諸々の行(あらわれ)となる。鏡にものが映っても残り物が無いように、心に障りがなくなる。
常に自己が何もせんでも救われている状態を悟る。
やがて、物事には一切の人間の見解(思い・考え・名づけ・意味・価値)が伴わないままの本当の価値・本当の出会いを見出せるようになる。それが諸法の無我なる様子。
この自身は無我が本来性ゆえに、何もせんでも元々自由な働きをしています。
そこが分かると、自身の精神的な活動・作用に対し、取り扱う自分が機能しない=無我なので何のとらわれも引っかかりもないようになれるのです。
今のあなたは手を付けている・触っている・問題にしているのでしょう。
こうして、携帯、スマホ、PCをいじりながら周りの音、外の音、テレビの音が流れていても気にならんように、何が心に生じても邪魔にならんようになるのです。
坐禅は「やる」ものではありません。DOじゃないのです。BEでもありません。
行為を必要としないスタンスなのです。
曹洞宗ですら立場だけ偉い道心のない坊さんが只管打坐をJUST SITTNG と訳し坐禅をしっちゃかめっちゃかに指導しています。一ミリでも間違えるとえらいこっちゃな「座」禅になる。「坐」禅です。何かを習うならきちんと正しく指導してくれる指導者の下で学ばないと手ごたえはありません。
実効性がない、確かな実感を得られないものは、やっぱり「何か」が違うのではないでしょうか。

2019年6月22日 9:04
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丹下覚元(たんげかくげん)
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「仏教における瞑想」問答一覧

瞑想後の足のしびれを早く治す方法について

どうもお久しぶりです。 今回の質問は足のしびれを素早く治す方法についてです。 苦を無くすという目的の元、たまに寺に行ってヴィパッサナー瞑想を行っています。 身体が硬いので結跏趺坐を組むまで、音を立てながら2分ほどかかってしまうのですが何とか組めるようになりました。 10分位(感覚値)すると足がしびれだし、そこから10分(感覚値)ほどするとしびれを感じなくなります。 痺れが治まると眠気が出てくるのですが、呼吸を整えて観察しています。 そしてさらにそこから20分(トータル50分前後)ほどすると、白い雲のような眩しい光や、建物の外の駐車場に停車しようとする自動車等の相(ニミッタ)が見えてきます。 相が煩わしいので5分くらい観察したところで瞑想を止めてゆっくりラベリングしながら立ち上がろうとするのですが、足が折れたんじゃないかというくらい痺れて力が入りません。 座り方は、指導者の方が、座布団の端を折り曲げて二重にし、そこにお尻の座骨を落として、座布団に乗せるのは座骨だけ。ひざの端は地面につける。そして体を伸ばして肩の力を抜いた後、板になった様にとのことでした。 個人的には三角フラスコをイメージし身体をまっすぐにして、結跏趺坐を組んだ足は固定されており全く動きません。 ここで質問なのですが、痺れを早く治す方法などありますでしょうか。

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瞑想での姿勢について

どうもこんばんは。 日曜日に生まれて初めてヴィパッサナー瞑想というのをやってみました。 苦の原因が想像していたものと一緒だったという事で、その確認ができて良かったのです。 今回は禅をご指導されていらっしゃる方に質問が二つあります。 1つ目は客観視をしてみると思ったよりも身体が多数の箇所で『声を出している』事に気づきそれを確認していくと同時進行すぎるために『気づきの処理』がおろそかになるのですが、一つの事だけに集中した方が良いのでしょうか。 例えると、奈良公園で鹿煎餅を持っている手とは別の手で鹿を数えていると、数えている鹿が動き回っていて、更にそれとは別の鹿が寄って来て鹿煎餅を食べようとし、更に別の鹿が背後からタックル(痛み)してきてタックルしている鹿を見た瞬間に鹿せんべいを食べられて、結局数えていた鹿が何匹いるか分からなくなりもう一度数え直す、みたいな感覚です(分かりにくいですが)。要は処理能力超えました。どうすればよいでしょうか。 2つ目が、座布団敷いて畳の上で、座り方もあぐらだったにもかかわらず、足が無茶苦茶痛くなったり、つったり、治ったりだったのですが、これは慣れれば大分ましになるのでしょうか。 また背中がだんだん曲がっていく(猫背)場合、どのように直すように指導していますか(無意識に曲がるため)。

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