hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

限界がきたみたいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 23

辛いことがあり心身ともに疲弊しました。
もう何も考えられません。
子供のために動けません。
仕事も手につきません。

消えてしまいたい。
誰も分かってくれない。
話を聞いてくれる人がいない。

私の今の苦労はいつか報われる日が来るのでしょうか。

ここから消えてしまいたいです。
どこかいい場所をください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

問題の解決方向・解決方法を今までとは違う方向へ。

私も悩んでいたころはなかなかその悩みが解決しませんでした。
それは今、振り返ると解決する方法が適切ではなかったからではないかと思います。
悩みというものはそもそもどのように生じるのか。
1思いがポンと生じた。
2その思いに対して、何かこちらが「対処しようとしたりする」ことがある。
3そうすると現実問題が思い通りにならないから、かえって苦しくなる。
それって実は、心がワイドショーのようなことをやっているのかもしれません。
今現実のリアルタイムで起こっていないことを、心の中で(前から・後から=/過去の事・未来の事)問題にするということが「心の中で行為されている」ということを知る必要があります。
人間はもともとの静かで穏やかで安らかな状態があるのです。
そこが万人共通の人間の静けさというものです。
湯呑に入ったお茶、水だって手を離せば水面が平らかになるものです。
心も波立っていれば物事を冷静に見つめられなくなる。
感情的になってしまうからです。
仏教とは「外の事を」変えようとすることではありません。
自分自身が心の中で取り扱うことによって心が乱れることを冷静にみつめて、過剰な反応や自我やエゴレベルを下げて心害をなくすスタンスなのです。
まずは、その問題と自分の心とを分離させて見つめましょう。
それはそれ。あれはあれ。
あなたとは別存在、別問題、別行動。
仏教は、独立、出家、出離の精神です。
仮に自分の中で出てきた思いであっても、そこに影響される・影響されないでは人生が大きく変わるものです。問題の解決方法をちょっと変えてみませんか。
世界中にジュータンを敷くよりも、自分の足の形にジュータンをカットして二枚、三枚重ねれば世界中にジュータンを敷いたことと同じことになるのです。おまけにフカフカです。🐾👣
そういう生き方を求めるのです。
「私がこの問題に過剰に反応してしまって自分の心だけが痛くなる」ことを控える生き方。
私は問題はいつも自分の心の中でやっていることが分かりました。
「そこ」が分かれば火を消す箇所が「一ヶ所」だけであるということが分かるので、無駄にアレコレとあれも問題、あれも問題、と騒ぐ必要が無くなるのです。
あらゆる私の中の100の問題は私という一つしかない心の中の一ヶ所でしか起こっていないと念じて問題の鎮火方法を冷静に見つめてみることをお勧めします。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丹下覚元様
ご回答ありがとうございます。
本当にありがたいお言葉の数々で、昨日まで苦しくて苦しくて死さえ意識していましたが、少し心が軽くなりました。
問題はたくさんありますが、私の心の中の一ヶ所で起こっている事なのだということに気付けて、迷い道から元の道へ戻れそうな希望がわいてきました。助けて下さり本当にありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ