崩壊寸前
初めて質問させていただきます。
わたしは現在、自律神経失調症と軽いうつ状態を抱えながら働いています。職場は幸い病気への理解が進んでいる環境で、優しい人もたくさんいます。同年代も多いですし、本当に有難い環境だと思います。
それなのにわたしは、どうしても毎朝毎夕毎晩「もう外に出たくない」「今すぐ死にたい」と思ってしまいます。睡眠もしっかり取れておらず、薬を飲んでも泣いて眠れなかったり悪夢にうなされて起きたりする日々です。どうしても外に出られず、無理するとストレスから吐いてしまい出社できない日もあります。また、鍵のかけ忘れが気になって何度も確かめたり、薬を飲んだ後「本当は飲んでないんじゃないか」と不安になり何度も何度も何度も残っている錠剤の数を数えたり、強迫観念が強く、仕事でも送ったメールが確かに送信ボックスに入っているのに何度も確認してしまうなど支障が出てきてしまっています。
思い当たる理由は、先日長年一緒にいたパートナーと離婚して引っ越しをしまして、また同じタイミングで異動もあったので、環境の変化に心と身体がついてこないのかなと思っています。ただ、わたしの状況にかかわらず、勿論仕事は待ってくれません。
休職も考えましたし、転職や退職も考えました。でも、今この日常を止めてひとりになったら、きっとわたしは社会復帰できず自殺する気がします。ひとり身ですから生計を立てていかないといけません、しかしもう転職活動する気力もないのです。
休んで充電してから求職できればどんなにいいかとも思うのですが、空白期間のせいで次が見つからない方を沢山見てきましたので、自分のスキルでは到底無理…と思ってしまいます。
支えてくれる周囲のためにも、なんとか自分を騙し騙し、脱落せず今の生活を続けたいのです。気をそらすのに有効な方法を教えていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自己の阿修羅をして大菩薩ならしむ
阿修羅とは国宝の阿修羅像でもおなじみですが、あれは心が錯乱状態にある人なのです。
あれもやらなければいけない、これもやらなければいけない、追われることがいっぱいあると心は何をしていいかわからなくなり、行き場を見失います。
問題が千あるとしても解決するアタマは一つです。
問題は千の問題を解決することよりも、千の問題を解決しようとするそのアタマの中の一ヶ所を上手にコントロールすればいいのです。
はだしで千の道を歩けば足を痛めます。
ならばこそ、千の道を歩んで足を痛めるよりも自分の足を痛めないようにクッションを厚くすることが大切なのです。
これは自分の考え方や物事の捉えかた、問題の解決方法そのものを改めましょうということです。
私自身もそうでしたが、考え方や思い方で問題を解決しようとすることは、泥の水で泥まみれの大根を洗おうとするようなものです。
それでは、いくら洗ってもきれいにならないのです。
心の問題を一切合切解決するには、思考活動を離れなければいけません。
人間は二十四時間ずっと頭を使っているわけでありませんが、思考活動をすればするほど心は疲れるものです。、
思いというものはいくら思っても思っても終わりがありません。果てがありません。
際がありません。
考えで考えを洗おうという考えで事を進めるとどうしても根本的な解決にはなりません。
アタマの運転の仕方を思考活動から離れさせる工夫があります。
禅では非思量とか不思量とも言います。
坐禅は坐禅を通して禅定という様子を明らかにすることです。
自身が思考が生じても影響を受けないように処する方法があるのです。
人間は自分意識が強く働いていると、自分ルールを中心に物事を取り扱うようになります。
たとえ自分の脳内の事でも自分のルールを持ち込むようになり、自分の思い通りにしようとすると現実が思い通りにならないから苦しくなってしまうものなのです。
鬼を描き、仏を描くも同じ筆。
阿修羅となり、菩薩になるのも同じ一心です。
だからこそ、心をおさめることこそ仏教においては最も大事な要点なのです。
今も、ざわつく心をよく自身で見つめて見ましょう。
その心を見つめる心こそがあなたの心をおさめ、菩薩や仏に導く心なのです。
その心をどう用いるか。
ぜひ坐禅、禅定、心をおさめる仏道修行を志してみてください。
質問者からのお礼
丹下覚元様
この度は、回答くださって本当にありがとうございます。
ずっと心配してきたわたしにとって、「思考を止めてもいいんだ」というアドバイスは目から鱗でした…まるで心配することが逃げてはいけない義務のようだったのが、心がとても楽になりました。
これからも生きなければならず、心の筆を投げ出せないのなら、わたしは、鬼ではなく仏を描きたいです。
本当にありがとうございました。今日助けていただいたことを、いつか誰かに還元できるように、焦らず、ここから立ち直ることを工夫してみます。
座禅、今度挑戦してみます。