他人の話を聞かない親。どうすればいい?
家族のことで何か困ったことがあった時、家族以外の友達や知り合いに相談するのは間違ったことなのでしょうか。私は家族内に相談できる相手がいません。常々、父の考えは偏っていると感じていますし、母も父の意見は絶対で自分の意見はないようです。ですので、家族間で相談しあい、話し合っても、偏った結果にしかならないと思い、友人に悩みを打ち明けました。いろいろな意見をもらい、参考にして自分の意見を親に伝えましたが「家族以外の他人の意見など、所詮は他人事。当事者ならそんなことは言えない。」と言って、切り捨ててしまいます。家族内ではなく、友人知人に相談した私のことも全否定です。私はいろんな人の意見を聞き、考えの幅を広げてから自分でも考えて、意思決定をする方がいいと考えているのですが、これは間違いなのでしょうか?また、聞く耳を持ってくれない両親に対して、どう接したら良いのでしょうか?教えてください。
自分のことを認められない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
相手に勝つのでなく、違いを認められるといいですね
引き続き回答のご縁を頂戴します。
対立構造になってしまっては中々意見を聞いてもらえません。お互いに相手の意見に勝とうという姿勢ではせっかくの誰か第三者の意見も結局は相手を負かそうとする武器としか捉えられないのではないでしょうか。
もちろんここhasunohaの僧侶の意見も同様でしょう…。
やはり親御さんに響き得るのははあなた自身の態度や言葉なのではないでしょうか。
そしてもっと言うならば、悲しいかな人は話せばわかり合えるというわけではないということは忘れないようにしましょう。
あなたと相手は違う人間なのです。考えが違って当然です。どちらが正しいという事でなく、そもそも違うのです。
であるならば、分かり合えないことをお互いが分かり合う先にこそ、意見はバラバラであっても共に出会っていける世界が開けるように思います。
お父様が頑固で聞く耳を持たないならば、まずはあなたの方がお父様の考えや気持ちを尊重しし受け入れる所からではないでしょうか。
そして、でも「どうしても私はそれと考えが違うのだと、だから私自身も悲しいし苦しいのだ」と、対立構造ではなく、違いを認め合い、だからこそどうしたらいいか一緒に考えてほしいというところに立ってみましょう。
そして究極的には、あなた自身がどう生きるかに果たして親の許しがいるのか?ということもあります。
もちろん親への感謝や、親の希望と違う生き方を望んでしまうあなた自身の葛藤も痛いほど伝わってきます。
でもだからといって生き方を強制されなければいけないわけではありません。
あなたの代わりに親が生きてくれるわけではありません。あなたも親の代わりに生きてあげられるわけではありません。代わりのきかないあなたがどう生きるかはあなた自身の選択です。
もちろん親の理解が得られることは何よりの安心と喜びがあるでしょう。ですが親もいつかは死にます。あなたもいつかは死にます。その時に自分の人生を親のせいにしないような主体的な態度で人生に臨みましょう。
もちろん対立構造ではなく、違いを認め合うからこそ、その違いの悲しさを歎く眼差しをもってです。
望む形が違ったとしても、この話し合いによってご家族が深く相手を認め合えるご縁となることを願います。
「お父さんはそうだよね。私はお父さんがそう思う事を否定しないよ。でも私は…」からでしょうか。
質問者からのお礼
度々ありがとうございます。たしかに、私の中には相手に勝とうとする部分があったかもしれません。他のみんなはこう言っていて、私もそう思っているのになぜ分かってくれないんだと。教えてくださりありがとうございます。言われて初めて気が付けた気がしますし、自分の至らなさを実感しました。父にとっての私は子どもですが、違う人間でわかりあえない部分もあるのだと、いつか分かってくれたらいいなと思います。私も、父を受け入れていけたらと思います。何度も質問に答えてくださりありがとうございました。