浄土真宗のお寺に嫁ぎました
在家からお寺に嫁ぎました。嫁いで6年目です。
住職は布教と遊びでほとんどお寺にいません。布教のお金は全て自分のふところ、法事のお布施は取っていく。そんな人が布教するのに腹が立ちます。シャバで色々な経験をして僧侶になり布教するなら分かりますが、お参りより遊び優先、お金がなくなると法人からとる、お寺にはほとんどいない。
嫁ぎたての頃は内面を知らなかったので、とてもすごいお父さんだなぁと思っていました。
しかし、知ればしるほど、腹が立ちます。 どうしてお寺の人って金銭感覚がおかしいんでしょうか?全ての人がそうではないと思いますが‥‥ そんな人が何故、布教できるんでしょうか?
煩悩のかたまり
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お寺の人なのにって線引きは悲しいわ。お念仏を大切に。
なんで?って聞いてみたら?
浄土真宗だから、お寺の人なのに、って線引きは悲しいわ。
あなたのお父さんは、なんでそうなの?って。お連れ合いに聞いてみたら?
またお父さんに、お坊さんなのにそれでいいのですか?って問うてみたら?
あなたのモヤモヤは、わかってあげたいわ。
私も、いろんな人を見てきていますから。僧侶でも、これはどの宗旨の僧侶もですが、仏道を歩んでいても、僧も人間です。煩悩ある身。愚かさを抱え、ときには罪を重ねる。お金にだらしなかったり、また傲慢さも生む。
そうでしか生きれない わが身を省みながら、仏法を聞いていくしかないのです。
そうして、そこにその人の生き方が表れてきます。
あなたも、縁あって 阿弥陀仏のお念仏に出遇ったのであれば、住職の生き方を責めるだけでなく、あなたの念仏道を大切にね。
私も、在家から縁あって、今 こうして、お念仏を喜ぶ身でいます。
有難いことです。
南無阿弥陀仏
浄土真宗は戒律がない?
(編集部より。規約により一部変更しています。)
どんな悪人でも、善人でも、仏様は救ってくださる。
それを布教するのではないでしょうか。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩はストレスにつながります。
あなたの怒りも、あなた自身を苦しめる「悪」なのです。
住職は善人であるべきだという固定概念を捨てた方が、楽になるかも。
伝わります
拝読させて頂きました。
布教は我が身を呈して己れの命や人生をかけて仏様や祖師の法を伝えることです。自ずと伝える方の人となりや人生や生活感や価値観が聞く人に伝わります。
ですから旦那さんの人となりや生活のあり方や人をどのように思っているかが聞く方々に伝わってしまいます。或いは共に布教する仲間達や本山の布教部へも旦那さんの人となりが伝わってしまいます。
悪いことほど早く伝わりますので言ってることとやってることが違うならば布教の仕事も無くなってしまいます。
おそらく早いか遅いかではないでしょうか。
よくよくお考えなさってみてあなたの中でもこれからの生き方をしっかりと見定めて下さいね。
あなたがこれからの未来を心お健やかに豊かに皆様と生き抜いていかれますようにと切にお祈り申し上げます。
無駄遣いをするお坊さんがいてごめんなさいね。
お寺などの宗教法人において、布教や法事のお布施は、全額宗教法人に入れます。宗教法人に入ったお金はその宗教法人の運営に使用され、一部が給料として住職などお寺で働く人に支払われます。それに対して所得税がかかり、その金額に応じて住民税などが決まります。一般のサラリーマンと同じです。
質問内容をそのまま受け取りますと、脱税行為になると思います。
一方で、布教などのお布施は、お布施を支払った(お話をお願いした)団体が予め源泉徴収をして、ご住職個人にお渡ししている可能性もあります。この場合は違法ではありません。
また、「遊びに」といっても、具体的に何をしているのでしょうか?もしかしたら、家族には「遊び」と言いながら、慈善活動をしているのかもしれません。
質問者からのお礼
回答いただき、ありがとうございます。たくさんの方のご意見が聞けて良かったです。ご縁あっ嫁いだ身、少しでもご門徒さんの為、お寺の為になるよう、自分の出来る事をやっていこうと思います。