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49日までの過ごし方

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

先日もここで相談させて頂いたんですが、母親が亡くなり1週間程です。
来月の中旬に会社で私ともう一人入ってきた方の歓迎会を開いてもらいます。
49日までは、飲み会等を控えといたた方がいいと聞いた事もあります。
欠席はさすがにできないのですが、曜日の変更→10月に入ってからにしてほしいと幹事に言うか迷ってます。
時間が遅くなるので日程は皆さんの空いている金曜日に決定してました。
プライベートの飲み会なら勿論断りますが、会社の関係で私の事で日程変更少し言いづらいのもあります。
でも常識的に49日までは控えるべきと言われたら変更してもらう予定です。
肉とかも控えるときいた事がありましたが、大好物なので、家族父親も兄も普通に今食べています。
私が楽しく過ごしている事が供養とも思いますが、仏様になるまではやはりやめといた方がいいのでしょうか?
ちなみに私はアルコール全く飲めないので烏龍茶で飲み会参加します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗旨により大事な教義やお作法がある。お手次の住職にお尋ねを。

お母さまの ご往生 お寂しくなりますね。
合掌

宗旨によって、勤める意味は違ってきますよ。私は浄土真宗ですので、南無阿弥陀仏のお念仏のご縁を大事に、満中陰までの間、大切にお勤めして参ります。もちろん、月命日やご法事も、大切ですね。

こういったご相談は、あなたのお寺の住職に聞かれるのが一番なのですよ。
ハスノハには、今までにも たくさんの相談が寄せられ、回答してきましたので、検索してくださいね。
皆、お坊さんですから、それぞれに宗旨の教義やお作法を大切にしています。
いろいろ聞いても、あなたにとっては違う作法になる場合もあります。

ですから、お手次のお寺(お葬儀をしていただいたお寺)の住職さまに、直接 お尋ねくださいね。

一週間なら、初七日法要を過ぎましたね。
二七日、三七日、、、と七七日(満中陰)まで、お坊さんが参られるでしょ?そのときに、気になることは、ちゃんとお聞きになられるほうがいいのですよ。
(浄土真宗では、出かけてはいけない、食べたらいけないなどは、ありません)

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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以前は四十九日までは自粛の嵐

私は浄土真宗ですから、本来は四十九日は関係ない宗旨です。簡単にいうと四十九日は生まれ変わりの期間です。私の宗旨では亡くなったらすぐ悟りの世界に入って仏さまになると考えますから、教えの上からいうと四十九日は関係ないんです。

その浄土真宗でさえ、田舎だからかもしれませんが、母が亡くなった頃は自粛の嵐でしたし、肉や魚なんて近所のスーパーでは買えませんでした。世間の目が光っててないを言われるか分からなかったくらい怖かったんです。そういえば、いまはあまりそんなこと言わなくなりました。

ところで、浄土真宗以外の御宗旨では何故、四十九日まで遺族は行いをただすのか、ということです。さきに申したことと一部重複しますが、仏教では輪廻転生という考え方があり、今の生涯が終わったら、次の境涯に生まれ変わると考えます。ただ、すぐに生まれ変わるのではなく、最長で49日の間はこれまでの生涯と次の境涯との中間の期間(この時期を中陰とか中有とかいいます)があると考えます。最長で49日間は行き先が決まっていないとも言えます。

そこで、亡くなった人が少しでもよいところへ生まれ変われるよう、遺族が追加の善根を足しあげ(これを追善供養といいます)ました。具体的に善根とは、親族が集まってお経をお勤めするとか、生き物を殺さないという戒め(不殺生戒)、お酒を飲まないという戒め(不飲酒戒)を守るなどです。以上が基本的な四十九日の意味です。

これらのことを知ったうえで、後はどうなさるかということは一人ひとりの問題だと思います。だいたいシーラ(戒)というインドの言葉自体、掟みたいに誤解されますが、元来の意味は「気立て」という意味でした。お尋ねの文章にある、自分たちが楽しく暮らすのが亡くなった人に対する供養という考え方も正当なものでしょう。仏教の四十九日の意味を知ったうえで、会社の歓迎会に楽しく出席するのが供養だと考えることは可能です。いや、そうじゃなく、やっぱりこれは遠慮しよう、というのもよいお考えです。どちらが正しく、どちらが間違っているとは言えません。要は「気立て」の問題で、亡き人を大切にお思いになることが本質的には一番大事なんですから。

上記のように浄土真宗の立場からは答えることができると思います。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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日数に縛られる事はない

こんにちは。お悔やみを申し上げます。

 なぜ人は喪に服するのか。私は、周囲の人が「悲しんで落ち込んでいても良いんだよ」という気遣いから生まれたものだと思います。だって肉親が亡くなってすぐにワイワイガヤガヤなんて気分になれないものね。

 ご質問の件は、あなたを歓迎する会なので、あなたが欠席しては歓迎会の意味がないですものね。この後の人間関係の事も考えて、出席した方が良いでしょう。

 もし、あなたが、悲しさでまだ歓迎会に参加したいと思えるほど気持ちが回復していないのであれば、その気持ちを幹事さんに伝えても良いでしょう。もうそろそろ新しい仲間とお酒の席で話をしてもいいかな、と思える元気があればそのまま開催してもらっても良いでしょう。特に日数に縛られる事はないと思います。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
絶対に行っては駄目ではなく、気持ちの問題だと感じました。
少し落ち着きだしたのもあり、母親に一言言ってから行ってきたいと思います。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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