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仏様を信じても許されますか

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有り難し有り難し 13

最近ヴィーガンというものを知り、私が食べていたお肉や卵、牛乳がたくさんの動物達の身体的、精神的苦痛により作られてきた事実があることを知り、自分の世界の見方が変わりました。
例えば駅で二匹の鳩が仲睦まじく毛づくろいをしているのは大変愛らしいと感じ、その一方養鶏場ではたくさんの鶏が食べられるため檻に入れられているのだろうかと思うと複雑な心境になります。
全ての酪農や養鶏などが悲惨な状態で行われているのではないと思いますし、それぞれどのように酪農などをされているか直接確かめることをしていないので確固たる証拠がありませんが、ネットで映像を見たり、身の回りには牛乳、お肉、乳製品がそこら中にあるのに、それの元になっている動物達を直接見ることはほとんどないのは狭いところに閉じ込められているんじゃないかと不安です。自分は仏教に興味があり、仏様の慈悲深かさに感激して仏様やその教えを信じています。捨身飼虎図を見たときに自分も生きるもの全てを大切にできる人になりたいと思いました。
これまで食べてきた動物達には心から感謝し、これ以上食べることはやめようと決めました、それにより肉などの消費が少しでも抑えられ食べられる動物が減るよう願っているからです。
しかし私はスーパーでアルバイトをしています、スーパーでお肉や卵、牛乳などを売っているのを思い出し私はそれらを売る店員として動物の殺生に荷担している、その利益でお金をもらい食べ物を食べたいときに食べるのは罪ではないか、動物に申し訳ないと思いました。始めたばかりで辞めにくいし、半年以上働くと言って採用を貰いました、バイトを面接するにもお金がかかっているし、わざわざ仕事を一から教えてもらっていて辞めるのも迷惑をかける、私が辞めても誰かが代わりにやるだけで結果は変わらない、など考え、今ではなく契約した期間で最短の半年で辞めると決意したものの動物の命よりお金と自分が大切なのかと罪悪感があります。綺麗な空を見たり、食べ物を食べて、ベットで眠ることができる私は動物を見捨てているように思います。しかし自分は自分自身穏やかに生きたいと欲があります、お肉などを売っているのに。バイトをしている時は元になっている動物がどうか救われるように祈る事しかできません。
こんな私でも仏様を信じてもいいのか、失礼であり贅沢ではと思うのですが私は信じたい、信じてもいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

罪悪感に囚われない事

拝読させていただきました

私は酪農家の家で育ちました
父は飼っている牛を大変可愛がり
日の出から夜の9時まで
よく働き
知っている限りでは
他の農家さんより己の身を削り大変牛達を可愛がっておりました
他にも鶏、カモ、犬、、猫、鳩、どの生き物とも心を通わせながら育てておりはした
きつい仕事だったので残念ながら父は早く他界してしまいましたが
私はこの貴重な経験を伝えたく親となった今も子供と鶏を飼って毎日草を集めてあげて
可愛がっております
そして一度は業を学ばせるため子供に命をとらせて頂戴しました

もちろん大量飼育の現場ではこんな事はありえなく
家畜は声かけしてもらう事すら
叶わないのが殆どかもしれません
立って座るだけのスペースで飼われる奴隷のような家畜たちの現状を、動物達の生に対する尊重をもっと沢山の人に知ってほしいと私も思うのです

これらは「もっと安く」を追求する人の浅ましさから来ており
大量生産の畜産の現場はそうならずにはいられないのが現実です
まるで工業製品のように

ですが肉だけでなく農産物も同じ事です
現代の農薬や科学肥料に頼り切った栽培は除草剤一振りでどれだけ多くの命を奪っている事でしょう?
人間の都合で道や川の護岸、ビルを作るにコンクリートを貼るだけでどれだけ生き物の生息域を奪っている事でしょう?

生きるとは他の命を絶つ
とても罪深いものです
そこで肉を食べないという決意は立派なものです

でも罪悪感を持つ必要はないのです
もっとも大事なのは罪悪感ではなく理解する愛なのです

さて、私の友達にも大変愛に溢れたヴィーガンさんとがいらっしゃいます。そして、ひたすら自分や人の選択に罪を感じるヴィーガンさんもいらっしゃる

いつもお伝えしているのは
大切なのは動物のその他多くの気持ちを理解する事で
己の境遇の矛盾にくるしんだり、人の選択や社会を恨むことはならないということです

それは家畜に愛を与えないのと同じ事なのです

現在働いている環境をすぐ変える必要もありません

世の中にはフェアな食品を扱うため頑張っている企業もございますのでそうしたところを探してみるのも良いかもしれませんし
ご自分で野菜を作ってみると新しい発見もある事でしょう

余裕を作って調べたり挑戦して命に対する理解をさらに深める事をお勧めします

合掌

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有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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質問者からのお礼

貴重なお言葉をいただけたことを心から嬉しく思います。ありがとうございます。植物も同じように命があり生きていることを忘れていました、生きるには必ず他の命が犠牲になってしまう、生かしていただいていることに感謝し、今を大切にしようと思います。いただいた回答は宝物です。本当にありがとうございます。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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