自分が大嫌いです。
はじめまして。私は保育の専門学校に通っています。21歳です。
最近、朝起きるのが辛いです。今日も学校か、なんで生きているんだろう、と目が覚めた時からネガティブな気持ちになります。気持ちが落ち込んだまま日々を過ごしています。なんのために生きているのか分からなくなっています。楽しみがありません。
自分に自信がなく、堂々とできません。人との関わり方が分からず、表面的な関係で終わってしまいます。常に受け身です。友達がいません。緊張してしまい、何を話したらいいのかわからないです。話すのが怖いです。いつも孤独感がまとわりついています。本当は楽しくおしゃべりしたいのに。寂しいです。こんな歳になって、友達の作り方が分からないなんておかしいですよね…
人間向いてないと思います。人間やめたいです。私は中身のない、からっぽな人間なんです。
こんな私が生きていていいんでしょうか…社会に出ても何の役にも立たず、むしろ周りに迷惑をかけてばかり、という姿ばかり想像してしまいます。きちんと働けるのかとても不安です。そもそも保育士として働けるのか…こんな私が子どもと関わる仕事に就いていいのだろうか…
どうしたら周りの人のように前向きに元気に明るく生きることができるのでしょうか…
上手くまとまっておらず、読みにくくて大変申し訳ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
前を向くことだけが全てじゃない
周りの人達だって実は内心暗かったり、心配事や悩み事があったり、尽きることのない様々な思いを抱えているものです。こちら側の想像とは裏腹に、全然違った心境だったりして。
無理して周りに合わせる必要はありません。その時々の貴女らしくいればそれでいいのです。
知り合い?友人?仲間?できなくったっていいじゃないですか。無理して作ったらそれこそ…
現代はコミュニティを広げられるツールが多いし、その場所は今後もどんどん広がっていきます。今までは考えられなかった思いもよらぬ繋がりが、いとも簡単に構築できてしまう時代です。保育の仕事はあくまでも「仕事」と割り切って、ちょっと辛いかもしれませんがそのモードを作って臨むのです。慣れればこっちのもの。
あとは「笑う」ですね。笑顔で幸せを呼び込んでください。
笑う門には福来る、ですよ(^^)
一生懸命に聞ける人はなれそうですか?
こんにちは。私も保育の端くれにいますので、保育を考えている人にはぜひ「この世界でやってごらんよ」と言いたいクチです。
まず「本当は楽しくお喋りしたい」、その経験はいつ頃まであったのでしょうか?どこかにターニングポイントがあって、その時点から「楽しくおしゃべりできない私」へと変わってしまったのでしょうか?
おしゃべりは、「楽しさを演出しながら色々ある」行為みたいです。端から見て「楽しそうにおしゃべりしてた」と感じても、実はストレスをガンガン溜め込み、ぶつけ合っていることもあるそうですお。
なので、この点は「いつ頃までは楽しかった」「あれがきっかけで嫌いになった」が貴女の記憶にあるならば、それを吐き出すと変わるかもしれません。
一方、それが思いつかない、としたら「喋るよりも、受け止める達人を目指す」のはいかがでしょうか。子どもの自己肯定感を育てるには、周りからの評価が必要です。それも「100点つけたげる」というものよりも、「ずっと見守ってる。よく分かってる」という安心感のようなものです。
あなたが自己表現を苦手そうなのは分かりました。では相手に徹底的についていく、関心を持って心を傾けて受け取る。そんなことはできないでしょうか。
保育者も「ガンガン引っ張っていく」タイプと「ひたすら側を、あるいはすぐ後ろを歩いていく」タイプがいます。貴女はおそらく後者の方が向いているでしょう。
しかし、「何もせずになれる」ものではありません。読む限りですが、「貴女らしさを活かした保育者になる」ことは可能と思いますよ。
でも、そういった努力が面倒臭いのなら、やめておいた方がいいです。面倒くさがりは歓迎されません。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
心が軽くなりました。そのままの私でいいんだと思えました。笑顔を忘れないようにしたいです。
また、不安な気持ちになったらこの文を読み返したいです。
本当にありがとうございます。