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自分を大切にして欲しい時。どういった言葉を掛けたらよいか。

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こんにちは、いつもお世話になっております。

私が、優れていると考えている人が、自分で自分の事を「干物女」と称しております。
自分で自分を評価して、劣等感に浸ってしまったり、めんどくさいめんどくさいと、自分を適当に扱ったりと…
私の近くに、そういう人がおります。
女性でありますし、もっと自分を大事にして欲しいと思うのです。

何かこう、もう少し自分を誇りに思ってほしい、大切に思ってほしいと思うわけですが、私はどうも気が利かないようで、なんと声を掛けたらよいのかわかりません。
どう声を掛けたらよいのでしょうか?

なにか、気の利いた一言を。
何か心温まるような一言が言えたらよいのですが…


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

言葉の中にあるSOSサイン

ゆーりさんこんにちは。我が家には昨年境内から出土したモテモテ様を祀っています。
先程御神託がありましたので、そのまま掲載いたします。
『相手がネガティブなことをいった時、それは愛情のエネルギーの補給を望んでいるサインと捉えるべきです。
そういうマイナス発言をしている時こそ、相手にプラス発言、励まし、エネルギー補給を人は望んでいるものです。』との御神託がありました。

A落ち込んでいる時の同調
「アタシって、全然ダメよね…」
「本当そうっすよね、最近影薄いッスよね」
「(・・・こいつ)そうよね…。」
B落ち込んでいる時の反発
「アタシって、全然ダメよね…」
「そんなこと無いですよー、少なくとも私は〇〇さんの事は(↑アゲアゲ↑ホメホメ↑)☆な方だと思っていますよ(>_<)」
この「☆」の中に、あなたが普段みておられてよく理解されているでありましょう彼女の素晴らしい面、秀でている面、良い面、素敵な面を具体的に評価し愛を込めて励ますことではないでしょうか。
言葉には、サインがあります。
まずは彼女の言葉の裏にあるSOSサインは感じられるようになると良いと思います。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたの想いを素直に伝えましょう

ゆーりさん、お久しぶりです。
ゆーりさんがその人のここが優れていて素晴らしいと思っているところを、そのまま伝えれば良いのではないでしょうか。
そして自分を卑下せずに大切にしてくださいと伝えましょう!
どんなに気の利いた言葉よりも、飾らない素直な気持ちを伝えた方がその人の心に伝わると思いますよ。

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おきもち

一般家庭に育ち会社勤めをしていましたが28歳の時に得度。2年間の研修を終えて住職になりました。もうすぐ住職20年目を迎えます。

忘れないでください。あなたは自分が思うよりもずっと美しい。

ゆーり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分自身のことを卑下し過ぎることは、卑下慢、あるいは卑慢と申しまして煩悩となります。

もちろん、逆に自分自身を過信し過ぎるのは、高慢・過慢として煩悩となります。

どちらも悪い煩悩であるため、宜しくはありません。仏教的にはどちらにも偏りすぎないように調える必要がございます。

自分のことは自分で評価するとマイナスなものとなってしまう傾向の一つの参考として、例えば、自分の顔に対してのことについて、下記のCM広告を少し観て頂きますと分かりますように、自分の思っている(思いこんでいる)ような顔付きと人から見た際における顔付き、雰囲気とで、これほどに違いがあるのかと驚きます。

「ダヴ リアルビューティー スケッチ」
http://www.youtube.com/watch?v=E8-XKIY5gRo

この場合のように、顔のみならず、自分のことを色々と低く見積もって評価してしまって、実際に様々に本当の力を発揮できていないところも結構あるのではないかと存じております。

そのため、他人からの正直な評価は、一つの判断する上で大切なものとなります。

ですから、覚誉浄順様もおっしゃるように、ゆーり様が正直にその方の優れているところ、素晴らしいと思うところを誉めてあげる、また、一人だけではなくて、他にも同じように考えている仲間と共に、何気ないときにでも同調して伝えるということで、自分が思っているよりか、優れていることに気付かせてあげて、自信を持ってもらえるように目覚めさせてあげてみて下さい。誉めて、覚めさせる。おぉーこれは覚誉さんのお名前そのままでもありますね(笑)

まあ、なかなか気付いてもらうのに口頭では難しいこともありますので、上記のCM広告の内容を一度観てもらえたら少しでも理解してもらえるかもしれません。手紙かメールででも、「あなたは自分で思っているよりも素晴らしいステキな人です。このアドレスの動画を観て頂けたら少しでも分かって頂けると思いますよ。」と一言付けて頂いて。どうでしょうかね。。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

干物女は素晴らしい素質を持っております

 ゆーりさん。みんながあなたのように熱い気持ちを持ち続ける人は稀です。ゆーりさんは自分と違う人の気持ちを想像してみましょう。これは人との出会いが多ければ多いほど、接すれば接するほど培われるものですので、時間と経験がものを言うと思います。
 だから、今はどんな素晴らしい言葉も今の彼女には馬の耳に念仏ですので、まずは彼女の存在を認め、メリハリのある「干物女」の良さを褒めましょう。人は褒められると少しずつ変わるものです。時間をかけて接していきましょう。温泉は地中深く掘ってこそ湧くものですよ。
 でもね、年齢を考えると、もしかしたら、お互い好意♥を抱いているのではないでしょうか?おっと!これは蛇足でした。

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

一行寺・覚誉浄順さんへ
回答ありがとうございます!!
一度言ってみたんですけどね…
もう一度、機会があったらあったら言ってみます!!

観音寺・大鐵さんへ
いつもお世話になっております。回答有難うございます。
蛇足ではありません。例の○○さんの事です。
やはりお坊さんは賢明な方が多いですね。今回は誤魔化してみようと思ったのですが…
言われたとおりにしてみたいと思います。
あと、温泉なら秋田県にございます、乳頭温泉郷が私のおすすめです。ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

安穏寺 (天岑寺)の丹下 覚元さんへ
先ほど、○○さんにメールしたところ、大学院の過去問はいらないということ。
「なんで?就職?」すると「まぁいろいろあるんですよ。はい。この話は終わり!勉強しなさい!殺すよ♡」 と言われました。留学?それとも大学やめるの?とか色々考えましたが、踏み込まずに
「殺されても♡いいけど、気になるやん。わかったよ。じゃあねーーー。」と返信しました。
サインかどうかわからないですが、人に言いたくない理由なのだろうと考え、且つ「いつも心配しとります・・・。」という旨を伝えました。
こんな・・・感じ・・・で・・・違いますかね・・・?
ご回答有難う御座いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ