条件付きの自殺願望
ある時、人と話していて口をついて出たのが「満足したら死んでもいい」という言葉でした。
それまでそのような事を考えたことはなかったのですが、意識し始めると無視できない、強い欲求でした。
自分が満足できる基準は幾つか、達成困難なものを設定しています。どれか一つでも満たせば死んでしまいたいです。
というのも、段々と現代や他人に期待しなくなっているので、自分が満足できれば他に求めることもなく、それ以上生きている必要もないのではと考えています。
何度か自己分析も行いましたが、逆に、少し囚われているような気もします。自己陶酔に近いような気もします。
他人に似た考えの人はいないか探しましたが、一番近いのは「〇〇するまでは死ねない」だと感じました。
人生が楽しくないわけではありません。やりたいことが多すぎて時間が足りない程です。
上手く纏まらず申し訳ありません。私はこのままでいいのでしょうか? 間違っていますでしょうか? それとも、こんなものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【五蘊盛苦】飽きる
意外と多い
ドラマや映画でよくあるシ-ン
仲間の危機を救うために、自分を犠牲にするってやつ
みんな必ずと言って良いほど、満足げに笑いながら炎に飲まれたり、爆発したりw
誰かを助けて、ヒ-ロ-として華々しく散れれば・・・
そういう願望を抱く人は意外と多いと思います。
でも、「誰かのために」働いたその先にこそ真の喜びがあると仏教でも説いているのです。
満足できたら死んでも良い。
この夢が叶うなら、この願いが叶うなら、死んでもいい。
人の内にある「美学」のようなものでしょうか。
確かに、これで満足だと思えたら、もうそこで終わっても良いのかも知れないけれど、人は絶対に満足しない生き物です。
何かを得たら、また別の何かが欲しくなる。
求める気持ちは尽きることがありません。
「自分のために」では、人は満足できないものなのです。
だから大丈夫。
あなたが死ぬ理由はそこに無いことになりますから。
どのみちいつか命は尽きる、その瞬間まで、生きて生きて生ききりなさい。
できれば自分のためではなく、誰かのためにその命を使いなさい。
いつか「生きててよかった」と思える日が来ます。