生き方
子供の頃から生きるということに対してよく考えてた。辛いことがあるたびに死にたいと考える頻度が多くなり、、自分自身、親に対する嫌悪感を持ち続け、過去の悲しみを拭えていない、子供のままの大人になってる気がする。
社会人として働く先々、嫌いな人がいて仕事に行く事が嫌でたまらない。自分の性格上、弱さ、責任感からすぐに逃げれず、嫌なのに平気なふりして残業残業の日々。ストレスを溜めてしまって、心が壊れるくらいまでいき、大切な人にやつあたりしたり、家で泣き叫んだり、死にたいと考えてしまう。こんな自分を情けなく思う。どう生きていったらよいのかアドバイスをいただきたいです。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怨憎会苦
脳みそ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
嫌な事や嫌な人に会う苦しみは、私たちの代表的な苦しみの八苦の一つ「怨憎会苦」と申しまして、誠に避けられない苦しみでございます。
他にも色々な苦しみがございますが、釈尊は、それらの苦しみを滅していくための方法を善巧方便により様々にお説きになられておられます。
是非、仏教に興味を強くお持ち頂きまして、学び修めていかれますことを、まず、お勧め申し上げたいと存じます。
「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり・・」と道元禅師も仰せられておられますように、生死の問題は、まさに仏教の取り組むべき要諦となります。
私たちは、生も、死も、自分が自分で生きている、自分が自分で死んでいく・・と考えがちですが、自己完結するものではなくて、生きるのも死ぬのも、そのための無数の因縁が関わっているものとなります。
簡単には、無数の因縁(原因と条件)があり、色々な依存関係の中において、生かされて生きていることができており、また死のありようも、そのようなものであると考えます。
いずれにしても、私たちは何かに依存して成り立っているだけの「縁起」なる存在であり、皆、そのような中で、支え合い、助け合い、分かち合いで過ごしていかないと成り立っていけない世界でもあります。
苦しいとき、つらいとき、しんどいときは、遠慮なさらずに周りを頼って下さい。そして、また誰かに頼られることがあったり、苦しんでいるもの、助けが必要とされているものがあれば、できうることにて、できるだけ助けてあげて下さい。
お互い様で有り難うという感謝の気持ちで、日々の行いを調えていけることが、少しずつにでもできるようになれば、その善行の一つ一つが、貴女様をより良い先へと向かわしめるための因縁となっていくことでしょう。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
自他のいのちを生かすべし
脳みそさん、はじめまして。
脳みそさんは、辛いことがあると死にたいと思い、過去の悲しみを拭えないままに大人になってしまったと考えておられるのですね。社会人になっても嫌と言うことができず、心が壊れそうになるのですね。
仏教では、「自他のいのちを生かすべし」と説きます。
まず、自分を大切にしなさいということです。過去の悲しみが現在の脳みそさんを作っているのなら、過去の悲しみを吐き出してしまうことです。それは、親に洗いざらいぶちまけるということではありません。
できれば、親に対して辛かったことを告白するような手紙を書いてみませんか。
洗いざらい、全部書いてください。そして、封をしてください。そして一年間、引き出しの奥に保管してください。
一年後に脳みそさんが手紙を開封してみてください。どう感じるか、やってみてください。
次に、脳みそさんは誰かの役に立つために生まれてきました。
自分を大切にするように、他人も大切にすればいいのです。それは、嫌と言わないことではありません。大切な人に八つ当たりすることでもなく、家族に泣き叫んだりするすることでもありません。
脳みそさんのできる範囲で、他人を大切にすればいいのです。
自分も、他人もいのちを生かすように生きてください。死なないでください。
質問者からのお礼
回答いただきありがとうございます。
心が軽くなるような気持ちになりました。
有り難き受け止め、実践していこうと思います。